亡くなったというニュースを耳します。
阪神大震災の時にもあった話です。
それをふまえて、多く方が努力しておられると思います。
しかし、限界があります。
昨日ニュースで取り上げられていた方は、
洋服店を経営されている高齢者で津波の被害にあい、避難所に避難していて、
仮設住宅があたったので引っ越しされたそうです。
しかし、引っ越しした仮設住宅の隣近所に引っ越ししてた人が少なかったようです。
誰にも気づかれずに亡くなったそうです。
仮設住宅の立地などで、入居を敬遠される人もいるようです。
そのため、空き家になっている仮設住宅がたくさんあるようです。
また、仮の住まいということで、近所付き合いをしない人もいるようです。
隣近所に住んでいるのに、つきあいのない状態です。
仮設住宅は特殊な状況かもしれません。
最近の都会の住宅街やマンションも、近所付き合いが希薄になってきてるように思います。
プライバシーや個人情報など、かかわると色々ややっこしい事になるのを避けているのでしょう。
そんな環境下で、一人暮らしの高齢者の方が寂しく亡くなっていくのは、非常に寂しいもの感じます。
結婚して夫婦二人から始まり、そして子供が生まれ、
家族が増え、そして子供が大きくなって家を出いってしまう。
また夫婦二人っきりになる。
気がつくと一人暮らしになっている。
私にも、そう遠くない時期にそうなるかもしれません。
父が「一人暮らし」です。母に先立たれたときは寂しそうでした。
ただ、父の場合は、ありがたい事に、毎日介護の方が来て世話をしてくれています。
毎日毎日、父の服を着替えさせたり、食事を用意してくれたり
そして、話を聞いてれる介護士さんいます。
週に一度は、病院の先生も来てくれいるようで、安心しています。
私もできるだけ顔を出すようにしています。
ほぼ毎日、父の家に行っています。
自分もいずれは、一人暮らしになるのだろうかと、父をみて思うことがあります。
実家の近所は古い町で、昔から近所付き合いのある町でした。
いまでも父が外に出ると、誰かが声をかけてくれます。
日本には、昔からそういった習慣のあったように思います。
そういったものが徐々に消えつつあるのかなと思うと、寂しく思います。
しかし、これは今日の話ですが、関西のマンションでコミュニティ活動を活発にしようという
働きがあるようです。
人は独りでは、生きていけません。
誰かが近くにいて誰かとつながっていることが、
人には大切だと思います。
フェイスブックは、新しい形のコミュニティ形成の場だと思います。
我々が高齢者になった時に、もしフェイスブックがあるなら、
一人暮らしの孤独感を和らげてくれるものになるのではないかと思ったりします。