いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

老いていくこと

私の家は父の実家横にありました。

その家には小学校1年までいました。

その当時は、祖父も健在でした。

時々祖父が、家にきます。

そんな時は、

父の実家にいる私より2歳年下の従兄弟とのチャンネル戦争負けた時。

その従兄弟は疳の強い子供でした。

すぐ「キー」となり、周りの人も困っていたようです。

負けた祖父は、家にきて、テレビを見ている私を買収します。

「50円やるから、テレビ見せて」

50円はあれば当時そこそこお菓子を変えました。

私は、お小遣いをもらえるとあって、すぐ

50円をもらって、私がテレビの前を離れました。

祖父は相撲を見始めました。

祖父は相撲を見るのが好きでした。

どうしても見たい取り組みがあったのでしょう。

当時ですと、昨日亡くなられた大鵬さんの取り組みなどがあったのでしょうね。

私は50円を持ってお菓子屋さんに走りました。

優しい祖父でした。

しかし、

祖父は昔ながらの人で、厳しい人だったようです。

子供達の結婚相手は祖父が決めたようです。

孫の名前も。

そして、正月など家族が全員揃う時の席順も

祖父が決めていたようです。

祖父の近くに長男と長男の長男そして、

祖父の次男三男四男と並んだそうです。

父は一番末席でした。

父は長男の長男より下ということです。

このことは、今年の法事の時に

初めて、長男の長男である従兄弟から聞きました。

50円をくれた祖父とは全く違ったイメージです。

そんな祖父も年には勝てません。

引越しをして何年かして父の実家に行った時、

祖父はめっきり衰えて、介護が必要な状態になっていました。

足だけはしっかりしていたようです。

階段を自分の足で降りてきていました。

今で言う認知症のようになっていたように思います。

老いた祖父の様子は覚えています。

生気がなく、表情がない顔。

老いて行く姿、

老いは病ではないので治ることはありません。

父も祖父がこのようになったのと同じような年になりました。

祖父と同じような様子です。

まだ、私が覚えている祖父よりはしっかりはしています。

表情は減り、

昔の記憶は消えかかっています。

ずいぶん消えたと思います。

もう父に昔の思い出が蘇ることはないのでしょうね。

いずれ私も、同じように、

今の家族との記憶が消えていくのでしょうね?

何か寂しいですね。

老いは誰にでもやってきます。

75歳ぐらい迄、しっかり生きて、すっと去りたいと願っています。