まだまだ、寒く、先週の大雪がまだ溶けず、冬の様相の中にも、春を告げる記事を多く拝見するようになりました。
今週末の大阪は、穏やかでいい天気でした。
その陽気に誘われて、市内を散歩して見ました。
平日は、人通りが多いので、日曜日の今日行きました。
どこも、休日とあって、ガラガラです。
ゆっくりと散歩ができます。
堺筋は、大阪を南北に走る道です。
堺に続く道というと言う意味でつけられようです。
当時は堺の方が大阪より栄えていたのでしょう。
この道は紀州街道の一部でもあるようです。
大阪市北区の天神橋1交差点から西成区天下茶屋東1交差点にかけて、大阪市中心部を南北に縦断する全長約6.1kmの幹線道路。大阪府道102号恵美須南森町線の大部分を占め、ほぼ全線の地下に大阪市営地下鉄堺筋線が通っている。 難波橋より天満を望む 天神橋1交差点 - 日本橋3南交差点間は、起点方向への北行き一方通行で全5車線。このため、東側を走る南行き一方通行の松屋町筋と対になっている。日本橋3南交差点 - 天下茶屋東1交差点は、片側2車線の全4車線以上となっている。 長堀橋 - 日本橋間(島之内)は「長堀橋筋」、日本橋 - 恵美須交差点間は「日本橋筋」とも呼ばれる。また、堺筋沿いに砂糖を扱う商店が多かったことから、「堺筋」は砂糖の隠語でもある。
かつての大阪は東西の道が中心で、南北に走る道は広くなく、道幅は3.3間(約7m)ほどしかなかったようです。
今は、幅43.7mある御堂筋を始め谷町筋、松屋町筋、四ツ橋筋、なにわ筋、あみだ池筋、新なにわ筋、堺筋と南北の広い道が発達し、東西の道と同じかそれ以上に広くなり、整備が進んでいます。南北移動が中心とした交通の流れになっているようです。
道路の主従が入れ替わった感じです。
堺筋の北浜はかつては、大阪の金融の街と言われていました。
金銀などの取引所があったり、今でも、証券会社がたくさん集まっています。
大阪証券取引所の前には「五代友厚 公」の像があります。
五代 友厚(ごだい ともあつ、天保6年12月26日(1836年2月12日) - 明治18年(1885年)9月25日)は、日本の武士(薩摩藩士)、実業家。薩摩国鹿児島城下長田町城ヶ谷(現鹿児島市長田町)生まれ。幼名は徳助。通称才助。大阪経済界の重鎮の一人。当時、「まさに瓦解に及ばんとする萌し」(五代)のあった大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図る。五代友厚氏のことはあまり詳しく知りませんが、大阪に貢献した人だと言う印象があります。(ウィキペディアより)
私としては、北浜が堺筋の起点がここのように思っています。
北浜から堺筋本町の間には、古い建物が点在しいます。
ただ、新大阪から北浜に行くには、乗り換えをしないといけないのでちょっと便がよくありません。
それもあって、
今日は梅田から歩いて行くことにしました。
「恋人の聖地」である「お初天神」に寄って、
すぐ近くの交通の要所である梅新東から
大阪の司法の中心、西天満の裁判所の近くを歩いて、
りそな銀行の本店手前の
ゴールは淀屋橋までの、約1時間半程度の散歩。
いい天気で、休日のビジネス街、人通りも少なく、いい散歩になりました。
お初天神。露天神とも言います。
池田に向かう街道の給水地として、重要な役割を持っていたようです。
それで「露」と言われる所以のようです。
曽根崎心中で有名。
恋人達ががプロポーズするロマンチックなスポットとして「恋人の聖地」に指定されています。
本殿。
露天神の言われが書いてありました。
梅新東
大阪の大動脈南北に走る御堂筋と新御堂筋がつながり、
東西に国道1号線が交差する交通の要所。
交差点に架かる陸橋から、右に大阪駅前第三ビルから第一ビル、左は、北新地。
フリーウェー新御堂
やはり日曜日、交通量がとても少ない。
平日のこの道は車であふれかえっています。
淀屋橋方面
目の前にはアメリカ領事館、右手の方が北新地。
昔ながらのお店も
弁護士先生が会合に使ったりするのでしょうか。飲み屋さんのお店も沢山あります。
中之島公園から、裁判所。
中島中央公会堂。右手に裁判所が見えます。
北浜。
大阪証券取引所の五代友厚氏の銅像の横を通って、南下。
■高麗橋野村ビル
大阪瓦斯ビルディングなどの設計で知られる、近畿地方を代表する建築家安井武雄の設計。各階間の腰壁上端を外側に迫り出させた外壁形状はエーリヒ・メンデルゾーンが当時のドイツの建築でとった手法を採用している。さらにその縁をオリエンタル調の装飾を施している。竣工年:1927年
高さ:7階
延床面積:428.13㎡
設計:安井武雄
施工:大林組
所在地:大阪府大阪市中央区高麗橋2-1-2
1階にサンマルクが入っています。
このビルの真向かいに旧三井銀行の建物ががあります。
■旧三井銀行 大阪支店ビル
1936年(昭和11年)
設計:曾禰中條建築事務所 施工:竹中工務店
設計:曾禰中條建築事務所 施工:竹中工務店
三井銀行大阪支店と言えば、
阪急の創始者小林一三氏もいたことがあります。
小林一三氏がいた時は、場所とか建物は違うかもしれません。
今は、三井住友銀行 大阪中央支店。
すぐ南はかつての三越百貨店があった所。
今は高層ビルに変わっています。
道路を隔てすぐ南隣に古い木造の建物。
文化財に指定されています。
ここを適塾だと思っていました。(笑)
後ろ高い建物が三越の跡地に建ったビル。
さらに南に
■生駒時計店
生駒時計店のビルとして1930年に竣工した。大阪建築界の重鎮・宗兵蔵の事務所による設計で、スクラッチタイル張りのアール・デコスタイル。 東面の時計台の下の出窓と丸窓は振り子を模したもの。
文化財に指定されています。
さらに少し南に歩いて、瓦町三丁目あたりで、御堂筋に向けて角を周ました。
少し歩くと
■「日本綿業倶楽部」のビルがありました。
そして御堂筋。
休日の御堂筋は、人も少なくのんびり、広く感じます。
最後に御堂筋にある
大阪瓦斯ビルヂング
1933年(昭和8年)に竣工。当時最新式のモダンな建物と言われ、竣工当時、建物内には事務所のほか、ガス用品陳列場、講演場、美容室、理髪場、ガス料理講習室、食堂などが設けられ、一般に開放されていた(講演場は1965年に廃止)。
ガスビル食堂は有名。
一度行きたいと思っています。
■日本生命ビル
大阪にも古い建物があるのですが、
文化財に指定されそうになると、指定される前に、取り壊して新しいビルを建ててしまう企業もあるようです。
文化財に指定されると、制約が増えるので、手間と費用をきらって、指定される前に取り壊すようです。
こういった由緒ある建物は、残していって欲しいですね。
今の建物が100年近く先に、このように味わいがある雰囲気を醸し出せるかと思うと、そうではないと思います。
今、次々と建てられている建物の寿命はせいぜい10年から、長くても50年もないでしょうね。
建て替えすることを前提に建てられているような気がします。
これが、官民の考え方の一つかなと。
極端な話ですが、新しいものばかり求めて、
「温故知新」を忘れかけているのかな。