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「世論」の強さは〜「検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む (光文社新書)」を読んで〜

「検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む (光文社新書)」
大変興味深い内容でした。
歴史は視点を変えると、違って見えるものです。

この本の著者は、大蔵省OBではありません。
また、東大出でもありません。
あとがきには、著者が大蔵省を題材にすることを危惧する声が周囲には多くあったようです。
大蔵省と関係のなかった人が、省庁の中の省庁である「財務省(元大蔵省)」のことを取り上げて本にするのは勇気がいるのでしょうね。
それもあってか、大蔵省を非難するような内容はなかったように思います。
最初は、大蔵省の省史を元にして、大蔵省のはじまりから、
そして、大蔵省から見た昭和史となっていると言えるでしょう。
戦後については、政治史・経済史と言えるかもしれません。

「小説吉田学校」で読んだ戦後の政治の裏面をも覗く事ができました。

歴史の表(オモテ)と言うか教科書で習う日本の近代史を大蔵省の目から見ることができます。

 

大蔵省に多くの史料があるようです。

大蔵省には、「財務省行政を期間ごと、分野別に分析した正史」と位置づけられる「財政史」などの史料など多数の史料があるようです。
 「財政史」は明治から昭和まで全150巻になるそうです。
  その「略史」が「大蔵省史」(全四巻)
  昭和は「昭和大蔵省外史」(全三巻)。
多数の史料があるようです。
これまでは、あまり注目されなかったようです。
本書には以下のように書かれていました。

大蔵省は松方正義初代大蔵大臣以来、日本で最もアーカイブと歴史編纂に力を入れている省庁です。


大蔵省が省庁の中の省庁であると思わせることが書かれていました。
安倍総理の祖父がかかわっています。
城山三郎氏の「男子の本懐」にも取り上げられた井上準之助蔵相の話です。
(著者はこの本についての反論を述べていました。)
井上蔵相は「金本位制」への復帰を行います。同時に緊縮財政をとります。
しかし、経済を回復させることなく、ついには「官吏一斉一割減俸」を行います。これに安倍総理の祖父の商工省の岸信介は猛反対します。
岸は当時「商工省に岸あり」といわていました。
しかし、世論の強い追い風に井上の「反対するなら商工省など潰してしまうぞ」という一言で、岸は黙らざるをえなくなります。
それ以来、岸は大蔵省には逆らわなくなったという話がありました。


しかし、大蔵省は常にこのような強い立場であったわけではありません。
時代の流れに押し流されてしまった事もあります。
その背後にあるのは、「世論」
井上蔵相が岸信介の口を黙らせることができたのも、「世論」があったからです。

盧溝橋事件」が勃発したあとも、「世論」に迎合しようとした近衛文麿首相が、中国に介入を押し進めていき、日本は戦争に太平洋戦争に向かうことになります。このとき、一番反対したのは陸軍だったそうです。

近衛は典型的なポピュリストです。しかも、立憲主義者にも全体主義者にも協賛主義者にも受けのよい八方美人です。

 そんな、近衛は世論の支持を得て強力な勢力なり大蔵省と対峙したようです。
しかし、

大蔵省を防戦一方に追いつめた近衛文麿。ここで、「中国大陸での戦いに最も反対したのは誰か」・・・それは、実は陸軍参謀本部です。・・・・嫌がる参謀本部を無理やり戦いに引きずりだしたのは、近衛首相と広田外相なのです。

 

世論を背景にした首相の強硬論におされ、閣議は主戦論が主流となり

こうして、日本は太平洋戦争につき進んでいく事になります。
こうした流れの中で、もう軍事予算の拡大に反を唱えず。
大蔵省は組織防衛に徹します。
予算を握っているのは大蔵省です。
戦争が進む中、予算が欲しい「陸軍」と「海軍」を競争させ、生殺与奪権を大蔵省が握ります。

そして敗戦。

 大蔵官僚というのは、戦前戦後を通じて「自分たちが日本を守るのだ」という気概にあふれた人たちばかりだったことは誰の回顧録を読んでもわかりますが、特に敗戦直後は、「アメリカを中心とした占領軍との戦い」の矢面に大蔵省が立たされる事になります。

組織防衛としての歴史の捏造
 しかし、結果的にそんな大蔵省が、占領軍を手玉に取った日本人となります。大蔵省は外交官としても通用する英語の達人をそろえているため、占領軍にあることないこと、自分たちすらまったく信じていないようなストーリーを吹き込んで組織防衛に成功します。

戦争の責任を全て軍部に押し付けます。
これは、日本人にも良かった結果になりました。

まさか、(占領軍は)予算を獲得するために、陸海軍が大蔵省に揉み手で官官接待していたなどとは思いもよりません。また、「世論が暴走し、近衛文磨ら特定の政治家も戦争を煽った」という事実は日本人には不都合です。占領軍も「一部の勢力が悪いのであって、国民は悪くない」としたほうが、占領政策の遂行に都合がよかったという事情もあります。こうして、今に至る歴史認識が成立しました。

歴史は、見方によっては、評価が分かれるものだと思います。
歴史の事実は、どこにあるのか?
その時代に生きる人にも分かりません。
後世の人が残された記述を元に、取捨選択しながら歴史を掘り出していきます。
その取捨選択も、実施する人、時代の政情によりかわってきます。

しかし、歴史を通じて変わらないのは、為政者は「世論」を気にする事です。
人が集まるとすごい力になります。
為政者は少数なので、この多数があつまることを恐れるのでしょうね。
あの中国でさえ、「世論」を気にしています。
客船沈没事故のあった韓国で、事故が原因で「首相」が辞任しています。
これも韓国国民の「世論」を考えてのことでしょう。
いずれ大統領に影響が及ぶ可能性もあり、韓国の政情に大きな影をおと越す可能性があます。

 

「世論」は全てが正しい認識の元に動かないことがあります。
というか「世論」は事実を知らずに判断してしまうこともあります。
群集心理の結果、多くの人が賛成する意見に異見を唱えられなくなります。
ちょうど、上記の近衛首相の元、閣僚が戦争に走り出すかな、誰も異をとなえることがでいなくなったように。
それが、国の進む道を誤らせることもあったりします。

その「世論」への情報の一つが、戦前においては、新聞などの限られたメディアでした。

しかし、今現在は、インターネットであったり、テレビであったり、新聞であったります。
この情報の多様化が、「世論」がまとまって暴発を防止することになっているのかなと思うところもありまs。
情報の多様化により、「世論」がまとまることがなくなった結果、「世論」が個に分離していったような感じかもしれません。
「世論」はまとまれば、力を出しますが、それを分けるとおとなしい日本人になってしまいます。
「世論」の一部を使って政治を進めようとする動きなどが芽生えてくるかもしれませんね。

※上記文の中の引用は全て「検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む」より。

検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む (光文社新書)

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