いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

東寺

土曜日、仕事終のあと、京都へ。

京都へは、新快速で大阪から京都は30分足らず。
気軽と言えませんが、行きやすいです。
仕事が早く終わったので、
ただ、京都方面の新快速に乗っただけです。
どこに行くという目的はありません。
どちらかというと、電車に乗るのが目的(笑)。

 

京都で降りて、近く東寺があるのを思い出しました。
東寺」は京都駅の駅の近くにあります。
京都駅は八条で「東寺」は九条です。
京都駅から、近鉄に乗って、次の駅が「東寺」。
乗って気がついたのですが、歩いてでも十分行けそうな距離でした。
帰りは京都駅まで歩きました。
 
東寺」の五重塔の高さは、木造建築では日本一高い57mあります。
京都のイメージの一つですね。
国道1号線を大阪からくると、「東寺」の前を通ります。
京都に着いたと思わせる建物です。

かつては、「東寺」と対になる「西寺」もあったようですが。
990年の火災で焼失し、その後、再建されましたが1233年に焼失して以降、朝廷からの援助もなく衰退の一途とたどったようです。
西寺公園児童公園に「史蹟西寺址」と石碑があるのみのようです。
東寺と西寺の運命は、当時の財政問題がったようです。
いつの時代も財政問題はあるものです。

793年平安京造営の時に、国家の鎮護を目的に建立された官寺でした。
嵯峨天皇の頃に、財政面から、工事半ばにして、東寺空海に、西寺は守敏に下賜されたようです。
ここで東寺と西寺の差がうまれたのかもしれませんね。
空海は現在にも名を残しています。
※上記の東寺に関する記述は、「京都謎解き待ち歩き」を参考にしました。

地図・地名からよくわかる! 京都謎解き街歩き (じっぴコンパクト新書)

多少上記の記述内容とは違いますが、ウィキペディアからも「東寺」の記事を抜粋しました。
8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」[6]という2つの寺院の建立が計画された。これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院であった。 南北朝時代に成立した、東寺の記録書『東宝記』によれば、東寺平安京遷都後まもない延暦15年(796年)、藤原伊勢人が造寺長官(建設工事責任者)となって建立したという。藤原伊勢人については、公式の史書や系譜にはその名が見えないことから、実在を疑問視する向きもあるが、東寺では古くからこの796年を創建の年としている。それから20数年後の弘仁14年(823年)、真言宗の宗祖である空海弘法大師)は、嵯峨天皇から東寺を給預された。この時から東寺は国家鎮護の寺院であるとともに、真言密教の根本道場となった。
 歴史には史料や解釈の違いで、誤差が出るものでしょう。
色々と情報がある70年前の出来事でも、10年前の出来事でも分からないことがあります。
 
土曜日は寒い日でした。北日本では大雪の大荒れの天候です。
京都も晴れたり曇ったり。「東寺」駅に着いた頃には、雪が降っていました。
京都駅から大阪に帰る時は、すごい雪になっていました。
 
東寺  西へ200m」
改札を出るとそんな案内が。
雪が降る中、案内通り西に向かって歩きました。
 
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東寺の南大門です。
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南大門の前から五重塔 上の部分が切れています。(笑)
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南大門から金堂
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 南大門を入ると、広い空間が広がっていました。
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門を入って右手に五重塔
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金堂
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講堂
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広い敷地でした。
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あとは五重塔の写真何枚か。
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