京都に行くとき時々京阪特急を利用する。
「淀屋橋」を出て、「北浜」「天満橋」「京橋」「枚方市」「樟葉」「中書島」「丹波橋」と停まり。
「丹波橋」駅をでると次は「七条」
清水寺に行くときは「七条」で降りて、普通電車に乗り換えて次の駅「清水五条」駅で下車する。
「七条」駅で降りると三十三間堂や豊国神社が近い。
いままで気にしたことがなかったが。
車内アナウンスで「七条」を「しじょう」と言っているように聞こえた。
ちゃんと「しちじょう」と言ってたようだが、
最初は「しじょう」と聞こえた。
知らない人は「四条」と聞き間違えていたかもしれない。
実際に間違える人がいたようだ。
時々利用する私でさえ京阪特急は「七条」を通過するようにダイヤが変わったのか?と思った。
「七」を「しち」と読むから聞き間違えてしまう。
あまり気にしたことがなかったが、
「七」は関西では「ひち」ということが多いようだ。
江戸では「しち」と言うのだろう。
江戸落語を聞いていて思っていたが、
「ひ」を「し」という傾向があるようだ。
江戸が東京となり日本の首都となったことで、
「七」など「ひ」がつく単語の多くで「ひ」を「し」と読むのが一般化したのだろう。
新聞や教科書なども「七」は「しち」に統一されているようだ。
「質屋」は「ひちや」江戸というか公式的な言い方は、おそらく「しちや」。
「布団を引く」は「ふとんをひく」公式にはやはり「ふとんをしく」になるのだろう。
この「ひ」と「し」の読み方の違いをあまり意識したことがない。
あまりこだわりがない。
京阪の「しちじょう」も「ななじょう」と読めば、わかりやすく親切かなと思うぐらいだ。
「京都ぎらい」
「京都ぎらい」という本のおわりがきに「七」の読み方について書いてあった。
著者は京都市出身の人で、京都風という関西風の読み方にこだわりがあるというか、出版会社が新聞系の朝日新書なので、教科書通りのルビをふるとことを懸念したいたようだ。
それぞれ地域の名称はその地域独特の呼び方で読むほうが良いと思う気持ちがあるのだろうと。
先述の「七」にしても「ひち」と呼ぶほうが、わかりやすくて「らしさ」が感じられてよいかと思う。
この本は、京都で暮らしている人でしか感じられない、京都というカテゴリーの中を垣間見れたような気がする。
京都というカテゴリー内で、生まれ育ちだけで格がつけられる傾向にあるようだ。
著者は、京都の嵯峨野の生まれ。京都市内の生まれである。
我々からすると「京都」の人だと思う。
当然、東京の人からも「京都」というカテゴリーでの仕事の依頼があるようだ。
ご本人にすると「京都」の出身ではなく「京都市」の出身とのこと。
住まいは宇治市なので「京都府」「宇治市」在住ということになる。
「京都」という冠はつけれないようだ。
京都は昔の洛中。
という区別があるようだ。
嵯峨野の人は京都の人とでは同じ京都弁でもなまりある上に
嵯峨野の人は、田畑の肥やしに人糞を洛中に取り入ったりしていたようで、そういったところで、洛中の人が嵯峨野(洛外)の人を見下しているような雰囲気があるようだ。
洛中とは平安京の左京のあたり。
平安京は右京と左京があり、内裏から見て(南向いて)右が右京、左が左京。
京都盆地は北高、東が高、南西が低くなっていて、右京は湿地が多く、人が住むのに合わず結果、左京ばかりに人があつまったようだ。
ちなみに、平安京は右京は長安、左京は洛陽を模して造られたようだ。
京都の街は、洛陽を模して造られた左京ばかりが栄えた結果、
京都へ向かうときは「上洛」というようになったという話がある。
「洛中」は長く日本の首都であったという気概があるのだろう。
今の東京の人が地方の人を格下のに見るのと同じような意識があるのだろう。
人間は、生まれ育った地域や血筋で人を分けるのが好きなようだった。
長く日本の首都であった京都だからあったということでもないかもしれない。
同じ京都と思っている地域でも、その中では生まれ育ちでの差があるようだ。
京都のそういったところなど、京都を身近な経験がこの本を書かせたようだ。
郷土意識・民族意識
テレビは面白半分に言われる北関東3県。
これはテレビの企画だが、県民意識が感じられる。
40年ほど前に聞いた話だが、その当時より以前だと思うが、大阪・京都・神戸はあまり仲が良くなかったようだ。
関西の「頭」の争いの様子がある。
京都は当然大阪も神戸もかつては首都であった街だ。
こういった場合は、京都の人は京都府や京都市や洛中は一体化するのだろう。
同郷という意識はある。
同じ市や県の人と他の市や県であったとき、海外で日本人にあったときの安堵感というか喜びのようなものを感じることがある。
同郷の意識。
他県民、他市民、他カテゴリーエリアの人と接するときに
自然と同郷意識というか郷土愛の意識が生まれてくるのだろう。
都道府県や市町村の合併では、
現在の日本は1都1道2府43県になっているが、
廃藩置県が行われた明治維新の頃、日本は3府302県→3府72県→3府35県と県の統廃合が繰り返された。
その中で、県の統合で紛争があった。財政基盤などの事情により強制的に統合されたりするなど、住民は不満を抱くようになった。
そして、紛争になったこともある。
時に、その騒動で県令が辞職に追い込まれたこともあり、やむ終えず分県された県もあった。
戦後の昭和36年頃でも市町村の合併の反対で乱闘事件が起きるようなこともあった。
単一民族と言われ、同じ言語を話す日本人でさえ、隣の地域との合併問題においても、紛争が起きたりする。
ちょっと「なまり」があるとか、昔はどうだったとか、他利権などの問題で紛争が起きたのだろう。
世界地図を見ると、中東の国境の多くがまっすぐなのに気がつく。
第二次世界大戦のあと、列強諸国が中東の国の多くの国境の線引きをおこなった結果だと思う。
文化や人種に関係なく引かれたようだ。
結果、異宗教、異民族が一つの国で暮らすことになった。
そこでどんなことが起きるかというと、日本の県や市町村の合併で紛争が起きたことをからして、
どれだけの民間で不満人や軋轢があったかは、想像に難くない。
事実不幸なことが起きている。
今のEUの状況を見て、
そういった歴史があって、今があるのではないかと思う。