「七つの大罪」はお気に入りのアニメだった。
昨年だったか?
毎週日曜日の夕方5時から毎日放送(TBS系列)で放送していた。
↓新作シリーズの製作が決まったようなことが書いてあった。
「七つの大罪」という言葉しらなかったので、
アニメのオリジナルのタイトルかと思った。
しかし、違った。
はるか昔からあった言葉のようだ。
知っている人も多いかもしれない。
大罪に対して肯定的。
必要だと、必要悪?
人が生きるのに必要なこと。
ウィキペディアを引用させてもらいつつ続けさせてもらいたい。
「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憤怒」、「怠惰」、「傲慢」、「嫉妬」
どれもこれも、見方よっては当てはまる。
個人差がある。
アニメでは、主人公は「憤怒」。
小柄でもとても強い。
なんぼやっつけても負けない。
ドランゴボールの子供の頃の孫悟空に似ている。
過ぎたるは及ばざるとあるように適度なところでバランスよければ、理想だろう。
「七つの大罪」を適当なところの表現ににした。
「暴食」=「食欲」 生きるのに必須。
「色欲」=「性欲」子孫を育むに必須。
「強欲」=「欲望」生きる糧に必須。
「憤怒」=「正義」共生するに必須。
「怠惰」=「休憩」体を労わるに必須。
「傲慢」=「顕示」人理解するに必須。
「嫉妬」=「競争」自分を磨くに必須。
と勝手な解釈で、適度な状態の言葉に変えてみた。
他に意見はあると思うが。
言葉遊びは面白い。
適当だと思う感覚は人によって違うため、基準は作れない。
適当であるのが、一番。
「七つの大罪」に「気遣い」を加えると、適当な状態になるのかと思う。
しかし、いま日々yahoo!ニュースやテレビのニュースを目にするにつけ、「気遣い」と言う言葉は死語になりつつあるのかと思ってしまう。
実生活でも、接するものことごとに「気遣い」を感じられることが減ったように感じる。
「バックツーザヒューチャー2」のビフタネンが支配者の時代。
ビフタネンのモデルトランプ氏が大統領になる時代だ。
蠢く時代、何かの予兆かも。
6世紀後半には、グレゴリウス1世により、八つから七つに改正され、順序も現在の順序に仕上げられる。その後「虚飾」は「傲慢」へ、「憂鬱」は「怠惰」へとそれぞれ一つの大罪となり、「嫉妬」が追加された。そして七つの大罪は「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憤怒」、「怠惰」、「傲慢」、「嫉妬」となった。
2008年3月、ローマ教皇庁は新たな七つの大罪を発表した。それは、遺伝子改造・人体実験・環境汚染・社会的不公正・貧困・過度な裕福さ・麻薬中毒である。遺伝子改造などは、胚性幹細胞への牽制とみられる。
アレンジもされているようだ。
ガンジーの「社会の七つの大罪」は、今にぴったり内容だと思った。
マハトマ・ガンディーは1925年10月22日に雑誌『Young India』(英語版)にて、「七つの社会的罪」(Seven Social Sins)として次の七つを指摘した[8]。
理念なき政治(Politics without Principle)
労働なき富(Wealth without Work)
良心なき快楽(Pleasure without Conscience)
人格なき学識(Knowledge without Character)
道徳なき商業(Commerce without Morality)
人間性なき科学(Science without Humanity)
献身なき信仰(Worship without Sacrifice)
「七つの社会的罪」はインドのラージ・ガートにあるガンディーの慰霊碑の外壁にも刻まれている。 脚注[編集]
「七つの大罪」自体が、人とは切っても切れない本能的なものだと思う。
人が増え、社会システムが複雑になると、ガンジーの七つの大罪になるのだろう。
現在もガンジーの「七つの社会的罪」に
よるものだろうか?
先日大阪城に行った。いい天気だった。その時撮った一枚。
手前にあるのは、大阪万博のタイムカプセル。