カウンセリングと相談は違うようだ。
相談は答えがある。カウンセリングは答えがない。
答えを出す人が違うからのようだ。
相談は、相談を受けた人が答えを提供する。答えを出す「在所」が相手にある。しかし、カウンセリングは、その逆で、答えを出すのは自分。話をする中で自らが答えを出す。「在所」は自らにある。
この違いだ。
この話を聞いた時、つい言ってしまった。
「相談は男性の話し方、カウンセリングは女性の話し方だね」と。
女性の方から、「どう思う」的な話をされて、「こうしたら?」と男性は答えを出そうする。
多分、相手が女性なら「そうそう、あるよね」と同調する。
女性が話をするのは、相談に見えて、相手に結果を求めていない。ヒトと話ををすることが好きなのだと思う。
男性のように答えを出してしまうと、そこで会話が終わってしまう。
男性は、自らの経験を持って解決しよう、一生懸命頭を働かせ、それなりの「答え」を出そうとする。
男性なら、いいと思うが、女性は、多分女性は無反応で、そのあと違う話をしだすかもしれない。それを繰り返しているうちに、男性は女性から「つまらないヒト」というより烙印を押されてしまうかも。
女性は、話続ける。男性は話が途切れる。
カウンセリングと相談違いがあるとは知らなかった。同じものだと思っていた。
男性と女性同じヒトだが、脳が少し違うと聞いたことがある。
そうそう、男性と女性は同じヒトだが、それぞれからしたら、別の生き物のごとくわからない存在かもしれない。
定年した男性の家庭の女性つまり奥さんの死亡率が高いとも言われている。
相方に先立たれた高齢の男性は奥さんが亡くなってからの追うようになくなるようだ。
一方奥さんは、長生きするように思う。
年とともに男性は女性に頼り、女性からするとそんな男性がストレスになるのかもしれない。
全てにそう言えるわけではないが、そう言った話をよく耳にした。
旦那さんも奥さんから自立していかないと、今の時代いつ、奥さんか捨てられるわからない。
カウンセリングと相談から話が飛んだが、今の時代こう言った言葉により線引きがよくなされる。その線引きで職種が違ったり、値段が違ったりする。
線引きにこだわる時代だと感じる。
これが「シェア」と言う考えにつながるのかもしれない。
ヒトが減り、仕事が減り、デフレの時代のヒトが生きる術かもしれない。
やることが決まっていれば仕事随分楽かもしれない。それだけに集中できる。余計なことはしない。いいな!羨ましい!
そして、ニッチが生まれ、誰がする?とオロオロ。
そして、なんで解決できるオールラウンドが求められるようになる。
議員さんの不祥事につけ、男性は議員辞職する傾向が強いが、女性はしない傾向があるように思う。
この点も興味深い事象だと思う。
カウンセリングと相談の違いかな。
辞めれるのなら、スッと辞めた方が楽かなと思うが。
上記の話は、耳目に入ったことを以って記したことで、一般的なことかは、わからない。
人類永遠の問題かも。
(ビールを片手に、いつもの店で)
空と水のようなもかも。
彦根港から(H290910)
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