いまこのときが大切

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合成の誤謬(ごびゅう)

合成の誤謬

「みんなが「正しいこと」をすると、全員がひどい目に遭う場合がある。」

「日本経済が労働者不足でむしろ「黄金時代」を迎える理由」(ダイヤモンドのオンライン)にある文。

日本の企業が一生懸命に生産して、国内で売ろうとする。倹約を美徳とする日本人では生産したものが十分売り切れない。そうすると、売れなかった商品を企業は輸出をする。輸出すると日本企業は、ドルで売り上げを回収する。回収した売り上げを日本で使うためには、ドルを円に交換する必要がある。ドルを売って、円を買う。結果、円高を助長することになる。円高になって日本の企業は困る。失業者が増える。日本人が困ることになる。
決算期や月末になると、従業員の給与など、企業には円が必要になる。輸出企業は持っていたドルを売って円を買おうとするから、円高になりやすい。 

同じことが欧米でもある。日本が欧米からたくさん輸入すると、欧米に円がいきわたり、欧米企業が、同じように円を売って、ドルや各国の通貨をかうようになると、円安になる。

為替については上記のように、単純ではないと思うが、このような傾向があるようだ。

結果、みんな正しいこをしてみんなが困ってしまうことになる。

合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、英: fallacy of composition)とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語[1]

diamond.jp

 

   

 だれも、最初は正しいことをしようと思っている。

性善説であっても性悪説であっても、行動を起こすときは「正しいこと」だと思ってするはずだと思う。

しかし、「正しいこと」とは、ひとつではない。人それぞれあるはず。

正しいことと正しくないことを共通認識するために、法律や習慣、宗教の教義などがあるのだろう。

法律や習慣や教義に合致しているかどうかで、善悪を分類することになる。

そして、それを守るためにあるのが「罰則」だろう。

これが通用するのは、国・民族単位までだろう。

そして、国単位では、

ある国では正しいと信じられていも、ある国では正しいとを言えないことがあったりする。

これをどちらが正しいかの共通認識を持つことは、今の時代難しいだろう。

それが、今の国際事情。

それぞれの国はそれぞれの国の政府によって「正しいこと」をしていると思っています。

「自国民を守る」=「自分を守る」

国家同士で、「正しいこと」の共通認識の基準が、国際法があると思う。

しかし、これには「罰則」はあるが、全員がそれに協力する必要がない。

すなわち、ないに等しい状況だと思う。

結果、破っても、罰することは難しい。

国家間で認識を強制的に共通にするには、これは武力に頼ることになる。

いわゆる戦争。

戦争しても、国際法で罰するには、戦力を使わないといけない。

一部の国が罰則を与えるために武力行使して、そのあとの国はどうなったか。

イラクをみればあきらかだ。

危機感を持った国は、それをされないために、自国を守るために取る方法は一つ。

結果、多くの国が「核」戦力を持ち、その均衡のもとで戦争のない時代を過ごしている。

 結果、「終末時計」が残り2分までになってしまうのだろうか。

これも「合成の誤謬」といえるだろうか。

   

 

 本能寺