「あやかる」は「肖る」と書く。
「肖」よく聞くのが「不肖の・・・」という時。
「肖る」には似るという意味がある。
「あやかる」も真似たい、似たいと言い意味がある。
このましい状態にある人の影響が及んで自分も同じようになりたい。
影響を受けて変化したり、動揺する。
このような意味がある。
人に良いことがあると、妬むのでなく、「あやかりたい」とい思うほうがいいだろう。
逆に「妬む」は
「人が自分よりこのましい状態にあるのを憎しむ」という意味がある。
「あやかる」とは逆のようだ。
どちらにしても、近くに好ましい状況の人がいるという点では、「あやかる」も「ねたむ」も同じかと思う。
そのあとにどういった感情を持つかの違いかな。
この年になると、お祝い事は少なくなる。
両親、お世話になった伯父や伯母が次々と鬼籍に入った。
しかし、あと数年待てば、祝い事があるように思う。
祝い事などよいことがあると、それに「あやかりたい」と思う。
お祝いを送ることで「祝い事」に関わった気持ちになる。
あやかりたいというのは本心であり、お祝いを贈る口実でもある。
初孫
10年以上も前から通っている店がある。職場から近いこともあって、よく行く。
店に行ってビールばかり呑んでいる。
大将は、接客の合間に自分の話相手になってくれたり、また時として反対に話相手になったりもする。
年は10歳以上も年上だ。
時として、お客さんそっちのけで、広角に泡を飛ばしての激論になることもある。
この店に来た人のブログに、大将が中東の話や昔の日本の学生運動の話をしているという記事を見かけたことがある。
おそらく大将の相手は自分だと思う。
こんな感じで、お客さんがいようがいまいがわりと大きな声で話をしている。
どっちも天邪鬼だから、意地を張って激論になる。
これで、1日の仕事の垢を落とし、気分良く家に帰ることができる。
相手には迷惑話かもしれないと思うが、そうでもないような気もする。
そんな大将もいよいよ「おじいちゃんに」になる。
子供さんに赤ちゃんが生まれたようだ。
大将は、初孫で嬉しいようで、自分で孫の将来を思い描いている。
生まれて来る孫の将来のことをうれしげに話すのを見ていると、こちらも微笑ましい気分になる。
「じぃーじ(おじいちゃん)」はそんなものなのだろうか?
孫と子供ではやはり違うのだろう。
そんな大将にお祝いを渡したいと思った。
本人とはほとんど面識はない。
お祝いを渡すのは「おこがましい」気もした。
「あやかりたい」といってお祝いを渡した。
人の人生それぞれの器に合わせて良いこと悪いことがある。
良いことがあるとそれが原因で次に悪いことが起きることがある。
「人間万事が塞翁が馬」だと思う。
それなら、人が好いときは、妬むより、あやかりたいと思う方が精神衛生的にもよいかと思う。