人付き合いが下手なんだろうと思う。
家族を除いて、長く付き合った人がいない。
会社で仲よかった先輩とも、辞めてからも何度か飲みに行ったりしたが、そのうち、疎遠になった。
中高と一緒に学校へ通った当時の友達、今は疎遠に。
近くに住んでいても、連絡すらしない。
友達もほとんどいないと言っていいかも。
それも、自分が悪いのだろう。
自身から作ろうとしないからかも。
ひとりフラフラしているのが、
一番楽(ラク)。
ここ十年来、ひとりで飲みに行っている。
会社の行事以外は。
でも
思い出は色々ある。
懐かしい。
行く時のうつろう時間中で。
時間の交差点で出会った人は、
数えきれない。
全て、時の彼方に行った。
往った人も多数。
逝った人も多数。
消えたものも多数。
変わったものも多数。
全て思い出になった。
また一つ思い出が増えた。
十数年通い続けたお店が閉まった。
この店は、会社の近くとあって、よく行った。
辛い時も、しんどい時も、なんとかならへんか思う時も、よく行った。
四面楚歌の一歩手前の三面楚歌かと思う時もあった。
この十年は本当いろいろあった。
たまたま、その時によくい行った。
大将ともよく話した。
口角に泡を飛ばして、お客さんそっちのけで、激論になったこともあった。
仕事、プライベートと関係ない話をした。
よく喋って、よくビールを飲んだ。
とっても気分転換になった。
精神の安定に良かった。
この店がなかったら、どうなっていたかな?
会社の同僚とかと行くより、よっぽどいいと思った。
主にビール飲むだけ派なので、
そのお礼に
メニュー改定するからとお店のメニューを作ったこともあった。
フェイスブックやツイッターアカウント作って、更新作業をしたりもした。
お店が流行るなら、とインターネットを使った告知を手伝ったこともある。
その店も、高齢化の波に押されて、閉めることになった。
大将とはプライベートでも
史跡に散歩に行ったこともある。
店が続いていれば、この店での10年以上のことは気にしなかった。
今日、会社を出て店の前を通って、店に灯がついていないのを見た。
わかってはいるが、気軽に開けることができたドアも硬く人を拒んでいるようだった。
こうなると、ちょっと寂しい。
大将とは、また会うこともできる。
電話すれば会える。
涼しくなったら、散歩に行こうと約束もしている。
ただ、散歩に行こうとして、会う大将は、お店の大将でなく、今まで、店で会っていた人とは別人なってしまう。
時間は、全てを変えてしまう。
一秒一秒が変化。
気がつくとと、そこそこ、いい歳になっていた。
この年になると「生」「老」「病」「死」「愛別離苦」の苦が、身にしみて来る。
なぜ、老いる?かと思う。
気がつくとと、風貌と年齢という看板がかかっていた。
四苦八苦追加して「時間の苦」も追加した。
これは、「生」「老」「愛別離苦」にも通じる。
近々、また、別れが待っている。
これから、どれだけ、「時間の苦」と会うのだろうか。
それを思うと、親しい人やモノが少ない方が、いいかもしれない。
今は、行きつけの店で、ビールを飲みながら、
センチメンタルな気分を、味わっている。
これから、別の「苦」を作って行くことができるのだろうか?
「苦」は「楽」の裏返し。
「苦」がなければ、次の「楽」はない。
ちなみに「楽」は、「ラク」ではない、「たのしい」だ。
今、ビールを飲んで、これを書いている店も、いつか思い出なる。
こうしていつか終わるのを待つ。
長い時間を、楽しく生きる。
「長閑有楽 」