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吉川英治 歴史小説
最近、吉川英治氏の歴史小説をよく読む。
kindleで安くダウンロードできるからというのもある。
「私本太平記」「親鸞」「新平家物語」「黒田如水・上杉謙信・平の将門・大岡越前 合本版」、それぞれが全巻セットで99円という値段だった。
そして、歴史が好きというのもある。
好きでも、古文書などは、到底読めない。
仮に古文書が読めたとしても、歴史小説の世界ほど想像を働かす能力と時間は持っていない。
それぞれの時代や人物に触れるには、歴史小説しかない。
読むとそれなりに、時代や人物のイメージがわいてくる。
歴史小説は有難い。
読むと、どんどんその時代や登場人物に興味が湧いてくる。
いわゆる、入口本のような位置づけ。
歴史小説で気に入っているのは、吉川英治氏、司馬遼太郎氏の歴史小説。
書くにあたっては、よりその時代や人物を調べて理解して書いていると思う。
その時代の庶民や主人公の声が聞こえてくるように思える。
こうした本を安く読める機会を与えてくるKindleはありがたい。
さすが、Amazonだと思う。
浄土仏教と・・
著者は、日本の浄土仏教の代表として、法然、親鸞、一遍を取り上げている。
それぞれ、考え方や行動が違う。
浄土仏教の各段階での進化の過程が伺えた。
宗教も、時間を経るにつれて進化している。
仏教は、日本に入って、日本風に進化した。
この3人の中でも、親鸞のやったことは、仏教における革命的なものだったようだ。
今までの解釈を、別の方向から見たような感じだろうか?
そもそも、仏教はインドの言葉を中国の言葉に変えて日本語に変えているから、お経は原型をどれだけ伝えれているか?
原文に近い文章も載っていた。
解釈のしようはあると思った。
解釈は色々できる。
日本語で書かれた憲法でも解釈次第では、真反対な解釈が出ることもある。
法然上人と親鸞聖人
元々、全く、「親鸞」に興味がなかったわけではない。
京都に行ったときに、「大谷本廟」に立ち寄り花を供えることがある。
通称「西大谷」。浄土真宗本願寺派(西本願寺)の宗祖親鸞聖人の廟所。
「知恩院」に行くこともある。
知恩院の「勢至堂」はかつて、親鸞の師匠法然の活動拠点で、法然が終焉を迎えた所。
当時は「吉水(よしみず)」と言っていたところのようだ。
知恩院の中でも上の方にある。
御影堂に裏の法然上人の像のある白壁の長い石階段を上がって行く。
この道を親鸞も通ったのだろうか?
行ってみると、こじんまりした感じの堂。
あまり人気がないようで、立ち寄る人も少ない。
引き戸を開けて入ると、誰もいない。
引き戸は必ず閉めるようにとあった。
どうも猿が入ってくるようだ。
お堂に入って、戸を閉めて、ひとり正座して、法然上人本地身とされる勢至菩薩の像に向かう。
いい雰囲気だ。落ち着く。
勢至堂の裏は、墓地になっている。
その墓地の中に「濡髪大明神」がある。どうも、ここの方が人気がありそうだ。
なぜなら、「濡髪大明神」は「縁結びの神さま」だからだろう。
お寺に神様がいる。
日本人らしい。
日本人は、単純化するのが好きで、なんでもかんでも、存在を受容して、一緒くたにして、矛盾しないようにする癖があるように思う。
実利を追求する宗教心があるように思う。
知恩院は、庭園以外は、法要がいとまれて時以外は、自由に色々見て回れる。
広い敷地歩いて回れる。
今御影堂が改装工事中だが、一時期、阿弥陀堂からの通路を通って工事中の御影堂のそばまで行けた。
法然上人の思いが引き継がれているように思う。
来るものは拒まずという思いが法然上人にはあったように思う。
こうして、宗派をあまり気にしないで、京都を歩いているうちに、浄土仏教に触れる機会あった。
そして、京都の本を読むうちに、歴史の流れのなかにある浄土仏教に興味を持った。
ただ、浄土仏教の信者ではない。
宗派に関係なく、神社仏閣行く、そして、お参りする。
ただ静かに手を合わせるだけ。
それで、神妙な気分になれる。
「願い事」はあまり頭に浮かばない。
浄土仏教
十数年前に、親族の葬儀に行った。
葬儀の後、おじゅっさんからの説教があった。
「浄土」と「六道輪廻」ついての話もあった。
なんとなくわかったつもりでいたが、わかっていないかった。
最近になってちょっとわかるようになった。
「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで、「浄土」に行けるといわれている浄土仏教。
「浄土」は「六道輪廻」の外にある。
多くの仏教宗派では、「六道輪廻」がある。そのため修行をするのだろう。
「六道輪廻」から解脱することが仏教の道。
浄土仏教では、「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで、これらを解脱できるというものだ。
日本人は簡単でシンプルなのが好きだ。
「南無阿弥陀」と念仏を唱えるだけなら簡単だ。
実際は色々あるようだが、庶民の感覚では、念仏だけで死後「浄土」へ行けると思っている。
昔のアニメやドラマで、こわいことがあると「ナムアミダブツ」と唱えってるシーンを見たことがある。
日本人の日常に溶け込んでいる。
念仏を唱えるだけで苦しみのない世界「浄土」に死後行けるなら、こんな有難い話はない。
このことでか、浄土仏教は信者を増やしたのだろう。
織田信長を悩ました「本願寺」は、浄土真宗。
織田信長のころには、僧兵を持ち、本願寺(今の大阪城あたり)に陣取って、戦国時代でも一大勢力だった。
その本願寺が信長と講和することとなって、大阪を離れる頃には、内紛があり、分裂して江戸時代には、西本願寺と東本願寺に分かれている。
秀吉の影響で西本願寺の後継が決まった。
追い出されたのは長男の教如。
大阪の本願寺を出る時に一番抵抗した。
親の言うことを聞かなかった。
この人を、家康は東本願寺を与えた。
この経緯から行くと、
西本願寺は秀吉。
東本願寺は家康。
という風見える。
これは徳川の戦略でもあった。
家康は、本願寺の力を目の当たりに見ているはず。
本願寺分裂させて片方を味方につけて、弱体化させるのに成功した。
しかし、その浄土仏教も、法然のころには、奈良仏教や延暦寺などからは敵対視されていた。
あまりに庶民から人気があるので、延暦寺が武力で、朝廷に圧力をかけて「念仏」を禁止しようとまでした。
住蓮、安楽、松虫、鈴虫の件があって、法然は土佐(実際は讃岐)に流刑になった。法然の弟子であり、妻帯したなどで色々話題になった親鸞も越後に流刑になった。
流刑になったたことは親鸞にとっても良かったかもしれない。
許しを得て京都に帰る途中、同じく許しを得て先に京都に戻っていた法然が亡くなったを聞いて、親鸞は京都帰らず関東にとどまる。
宗教は?
数百年過ぎる内に、ヒトが群れて、開祖を重んじ、自らと仲間の立場を守るための組織保全行動に走るようになった。
教えが、時代とともに霞んで行ったのだろう。
そして、戦乱が続く中、僧も自衛のため武装した。
ヒトが集まる組織には必ずあること。
これは、仕方ない。
生きるためには必死に自分立場を守ろうとするのは、ヒトとして当然のことだと思う。
そこには、進化はない。
進化がないと、劣化して腐敗していく。
時間は、新しいものを生むが、あるものを消しもする。腐敗という段階を経て。
今、世にあるありとあらゆるものが、物質的に腐敗・劣化して消えていく。
ヒトは、考える。
それが、ヒトに精神的な劣化・腐敗という重荷を背負わせているように思う。
神がヒト与えたもうた、「苦」か?
ヒトが生き物の一番上という。
ヒトは、一番苦しむ。
これから、人類がある限り、ヒトは悩み苦しみ、踠き、神秘的なものを心の拠り所にしてしか、生きていけないだろう。
何かを信じることが、ヒトには不可欠。
信じる対象は、なんでもいい。
下は、お金、イワシの頭、石ころから上は、祖先、仏、神。
信じることができることは幸せか?
信じることなしで、生きることができる動物の方が幸せではないかと思ったりする。
ヒトはよりどころ(信じることできるモノ)がないと、生きていけない。
これは「苦」であると思う。
ヒトは精神的に傷んでしまう。