いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

水を治む。

 政治の「治」という字

政治の「治」という字。何気なく見ているが、今回の台風19号に関係のある文字だと思う。わかりかきったことかもしれないが、今回の台風19号の災害のニュースを観るにつけ思われた。

「治」の編の「氵」は水。「台」は堤防かと言えるかな。水を台で抑えているように見える。水が台を超えてこないようにすることと言える。「政治」には、水を治めることが大切。昔から、水は人々の生活にはとても重要なものだった。今もそうだ。「水」は人の命や生活を奪うように暴れることもある。反面、人の命を潤し、食物を育てる人が生きるに不可欠な物質。これを管理することは、人々の生活を守ることにもつながり、国を治めるには必須だったはず。

政治の役割は、国という人々の集まりをまとめた、安全安心に暮らさせること。それに「治」が入るのは、水を手懐けて過不足なく人々に供することできるかと言えるかもしれない。

徳川家康

1590年豊臣秀吉の命により、徳川家康は江戸に移封された。当時、江戸は家がまばらな寒村だった。そこで、武蔵野に湧水はあったが、多くの人を養うのに水不足は決定的だった。利根川や荒川も江戸湾に向けて流れ込んでいたが、広大な関東平野の平地を流れてきたため、江戸湾近くではたりでは、海水も混じっていて塩分濃度が高く飲用水としはつかえなかったようだ。その後、小石川上水が引かれた。水不足は解消されたわけではなく、赤坂もあたりに綺麗な湧水が湧き出ているところに虎ノ門堰堤が作られた。日本初の都市の為の多目的ダムだとなった。ここに43kmの玉川上水がひかれることとなった。多摩川の豊富な水をこのため池に溜めていたようだ。

 利根川江戸湾に注いでいたが、今の位置に引き換えられた。利根川は度々洪水をおこしていた。この川を移す大工事を行った。

こうした治水計画があって、長期政権の江戸時代の基礎となったと言える。

今は、家康の時代とは違い、今の日本は、人口が増え、日本国土も社会も複雑になった。400年以上前の江戸時代の話と比較しても仕方ないが、治水の重要性の一例になるかと思う。

「災害は国を衰えさせる。」

いつ聞いたか忘れたが、「災害は国を衰えさせる。」という言葉が頭に残っている。

台風19号によって引き起こされた災害は、とても広範囲にわたり、道路、橋、鉄道、水道網などのインフラが大きく被害を受けた。さらに、多くのいが浸水した。結果、多くの人々の生活を奪った。電気水道のインフラが破壊されて、当然出る水が出ない。水害に遭って、水不足になるのは皮肉な話がが、トイレや風呂が使えず、普段の生活ができないこれ以上の苦痛はない。
国や自治体、被災した企業、市民が生活の復興に多大な支出を迫られる。その間の経済損失も相当なものになる。

こういったことが続くと、国や企業や人は富を失い、国は疲弊していく。

 

人知がおよばない自然の力。

東北では、8年前の大震災の津波で大きな被害を受けた。津波対策がなされたところに、街が復興した。皮肉にも、この水の災害「津波」から街をる堤防設が洪水の元になったといわれている。原因は調査中だが。復興した街が浸水した。住民は、津波の堤防に扉をつくってほしいと町に要望していたようだ。町は予算がないということで、話が進まず、この日になった。

平成以降、平成バブル崩壊以降、高度経済成長を遂げ、街や交通網が整備され平和の象徴のような日本に次から次へと災害が襲った。今まで想像もつかなかったような災害が起きるようになった。
最近では、新しい言葉も耳にするようになった。「線状降水帯」「バックウォーター」。今まであった言葉だろうが、「ありえない」いや起きなかったので、一般にはほとんど耳することがなかった。理論上起こり得るとわかっている現象もそれが大災害につながるとは思いもしなかったのだろう。自然は次から次へと、人が打った対策を、嘲笑うかのように新しい災害を引き起こすようになった。まだまだ、人知の及ばない災害を用意しているかもしれない。災害対策の裏をかくような災害がこれからも起こる可能性がある。

台風20号と21号が発生して日本の方に向かってきている。
 災害が近づくと思われたときは、気象情報や河川情報など公の情報に耳を傾け、自らや家族の命や財産を守るために、早め早めの判断と行動が必要だと思う。

「自分は大丈夫」という正常性のバイアスはありえないと思ったほうが良いかもしれない。 

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