テレビを見ていつも感じる。
画面の向こうはお金をもらって、こら側はお金をかけてそれを見ている。
こちらの世界があるから、画面の向こうの世界がある。
画面は一つ、しかし選択肢は複数ある。
選んでもらうことが、画面の向こうの世界の狙い。
見てもらうことだけを考えて、番組を作る。
こちらは、その番組を見て、笑って、泣いて、怒って、考えて、忘れ、記憶が変わる。
次から次へと新しい情報が、ところてんが押し出されるように画面から与えられる。
そんなにたさくん覚えられません。
次から次へと、ドンドンとあれやこれや。
だから、一年前の事は、随分昔に感じます。
本当に覚えられません。
新燃岳が噴火したのは、いつ?
今年の一月です。覚えていました?
3月に未曾有の災害がありました。東日本大震災です。
ここで新燃岳もニュースはほとんどなくなりました。
東日本大震災は、1,000年に一度あるかないかの災害です。
それに加えて原発の事故です。
伝えるべき情報が今までにないほど多く、画面の向こうからどんどん発信されました。
そして、夏の大雨による災害、電力不足、政権交代、金正日死去、次から次へと画面の向こうから情報出てきます。
情報は与えられると与えられるだけその前に与えられた情報が古く感じ、そして消えて行くのでしょうか?
いつどんなことがあったってすぐ思い出せますか?
だんだん思い出せなくなっていています。(年かもしれません)
記憶なんて本当に曖昧なものです。
人と話をすると同じ出来事でも微妙に違ったりします。
記憶は、思い出すたびに徐々にではありますが、書き換えられて行くそうです。
記憶は自分の都合のいいように書き換えられることもあります。
今年は、公私ともすっごく大変なとしてでした。つらい事が多かったです。
しかし、
数年後今年はどんな年だったと聞かれときどんな記憶になっているでしょう?
たぶん、今の記憶とは別物かもしれません。(笑)
ほんとうに人の記憶は曖昧です。