明日からゴールデンウィーク後半です。
4連休。
5月5日は「こどもの日」です。
そして、「こどもの日」は「端午の節句」とも言われます。
5月5日に関わる話があって、それ以来5月5日だけは、ちょっと違った感じ見るようになりました。
「孟嘗君」は中国の戦国時代の人です。
自分の領地をもち、戦国時代の大国「斉」の宰相になりました。
「孟嘗君」自身も戦国時代の大国「斉」の威王の孫にあたります。
この「孟嘗君」が生まれたが5月5日でした。
この時代、5月5日に生まれた子は後に親を殺すと信じられていたため、
親は「孟嘗君」を殺そうとしたという話がありました。
いまと、5月5日の時期が違うのかもしれません。
先日紹介しました「小説十八史略」今ちょうど、読んでいるところです。
読んでいると「端午の節句」にまつわる話があったので、紹介させて頂きまます。
「端午の節句は、中国では厄よけの日であった。端とはハジメの意味で、端午とはもともと五月の最初の午の日のことであったが、それがのちに五日に固定されたのである。
一年十二ヶ月の中で、五月は最も勢いのつよい月とされている。その中でも、午の日はとくにつよい。時刻にしても正午というのは、頂点である。そんなわけで、あらゆるものの勢いが最もつよい端午は、まがまがしいものの勢いも絶頂にあるずだ。それをしずめるのが端午の節句の行事であった。」
そしてつづけて、端午の節句に食べるちまきについても
「端午の節句に、ちまきをつくる風習は、古く中国より日本に伝えられている。
この起源は、投身自殺をとげた屈原(くつげん)を弔ったことにある。・・・」
屈原(くつげん)は戦国時代末期の人です。
たぶん真面目な人だったんでしょうね。
一生懸命王に進言をしたようですが、姦臣にじゃまをされ、追放処分を受け、ついには投身自殺をして待ったようです。
怨み抱いての自殺です。
その屈原(くつげん)の怨霊があちこちで祟ったそうです。
その怨霊を抑えるために、ちまきを作って川に投げ込んだそうです。
それがちまきの始まりのようです。
なんとなく「端午の節句」を通して歴史を感じます。
昔の人々は、まがまがしいものや怨霊などをひどく恐れていたのでしょう。
まがまがしいものせいで、疫病であたり天災などが起きると思っていたのでしょうね。
正史では、ありませんが、平安京に遷都されたのも怨霊から逃げるためだったという話も聞いたことがあります。
平安京には「風水」でいう玄武(北)=山、青龍(東)=河川、朱雀(南)=湖沼、白虎(西)=大道がそろっているようです。
北に山、東に川(鴨川)、南に湖沼(巨椋池)、西に大道(山陽道)。
それによって、結界をつくって、怨霊が都にはいいて来ないように考えたのでしょう。
でも、5月5日、今は、「こども日」です。
こどもが元気に育ってくれるのを願う日ですね。
5月5日が古い中国の歴史につながっているのには興味を持ちました。