いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

善鈞(ひと)しければ衆に従う。

「善鈞(ひと)しければ衆に従う。」

「この名言は、多数決をはきちがえてる者への箴言(しんげん)となるであろう。」

( 「子産(上)」宮城谷昌光著より )

今、「子産」を何年かぶりに読んでいます。まだ読み始めたばかり宮城谷昌光氏の小説が気に入っています。何度も読んだ小説もあります、

私が気に入ってるのは春秋時代の武将を題材にした小説です。

この時代、晋と楚という大国があり覇権を争っていました。このニ大国の他に中小の国が数多くあり、多くの国が晋に従い、楚はその晋の覇権を奪おうと、たびたび晋に従がう国を侵していました。
 晋は鄭という国を救うために、派兵し、楚と対峙することとなりました。小さな戦いを行い、優勢な中、さらに兵をすすめるか、評議が行われました。評議に参加した将11人の将のうち、さらに戦を望むものが大勢を占めていたため、戦を許そうかと考えた指揮官に三人の将が戦をとどまるように諌めました。指揮官はその三人の将の話を聞き、その言葉を受け入れ戦をやめて引き上げたそうです。あとで、ある将が「あなたは、多数になぜ従わぬのか。あなたの下にいる十一人の将のうち、会戦を望まぬのは、三人だけではないか。戦いを欲する者が多かったのだ」と批判されたときに

「どちらも善い意見のときに多数に従うものだ。善い意見の持ち主は多数の中の主である。あの三卿は、その主にあたる。三人で充分に多数であると言える。それに従ってどこが悪いか」と応えたたそうです。

このことが、「善鈞(ひと)しければ衆に従う。」です。

小説をよんでいますと、この春秋時代は「礼」を重んじる風潮があったことがわかります。「礼」は今とは違った意味があったようです。「礼」を ウィキペディアで調べてみますと以下のようにありました。

「礼(れい)とは、さまざまな行事のなかで規定されている動作や言行、服装や道具などの総称。春秋戦国時代儒家によって観念的な意味が付与され、人間関係を円滑にすすめ社会秩序(儒家にとっては身分制階級秩序)を維持するための道徳的な規範をも意味するようになった。」

「礼」が重く見られた時代だったのでしょう。

「礼」の有る時代であったので、「善鈞(ひと)しければ衆に従う。」ということがありえたのでしょう。

現代では、考えられないことですね。なんでも多数決です。多数決が、一番簡単です。上記のような判断を必要とする場合、指揮官その人の素養が大きくかかわってきます。これを許していしまうと、専制政治のようになってしまう可能性があります。春秋時代の「礼」のような社会規範的なものがなくなり、今までの、失敗を改める意味で生まれたのが民主主義でしょうね。最善より最大公約数を求めるようなシステムですね。

民主主義全盛期です。社会の意思決定多数決がおこなれてます。善いことも悪いこともすべて多数決で決めてしまいます。