いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

想定外

今年3月9日に大津地方裁判所で、関西電力の高浜原発3号機・4号機の運転差し止めの仮処分の判決が下った。

判決文の以下の内容が、テレビのニュースから聞こえた。この判決文のこの部分については、原発反対賛成という意見を交わす前に考えないと行けない事だと思った。

第3 当裁判所の判断
2 争点2 (過酷事故対策)について

地球温暖化に伴い,地球全体の気象に経験したことのない変動が多発するようになってきた現状を踏まえ,また,有史以来の人類の記憶や記録にある事項は,人類が生存し得る温暖で平穏なわずかな時間の限られた経験にすぎないことを考えるとき,災害が起こる度に「想定を超える」災害であったと繰り返されてきた過ちに真撃に向き合うならば,十二分の余裕をもった基準とすることを念頭に置き,常に,他に考慮しなければならない要素ないし危険性を見落としている可能性があるとの立場に立ち,対策の見落としにより過酷事故が生じたとしても,致命的な状態に陥らないようにすることができるとの思想に立って,新規制基準を策定すべきものと考える。債務者の保全段階における主張及び疎明の程度では,新規制基準及び本件各原発に係る設置変更許可が,直ちに公共の安寧の基礎となると考えることをためらわざるを得ない。

 4月14日夜に、熊本県でおきた震度7地震。以降、16日未明の本震(震度7・M7.3)含め、震度6強や6弱、5強・5弱と強い地震、そしてその間に震度4、3、2、1の地震が頻発。700回を超えた。これが、本震から一週間を過ぎようとしているにもかかわらず、続いている。この災害を、誰が想定できた事だろうか?

建物の耐震技術は進んでいるが、想定しているのは、震度5強なりの地震に耐え、震度7や6強でも人命に危害をおよぼすような建物の倒壊等の被害が生じないこと。しかし、これは1回の地震を想定しているようだ。今回のような複数回地震は想定していないとテレビの報道で聞いた。

こんなに地震が連続して起きるのは、まったくの想定外だ。

5年前、3月11日に東北太平洋沿岸地域で起きたM9という未曾有な規模の地震。そして、未曾有な規模の津波。過去幾度かこの地域を大きな地震津波の被害にあったことがあっても想定すらできなかった大きな地震津波そして史上最悪の原発事故。

「想定外」という言葉がよく使われた。
 

21年前 1月17日早朝の阪神地帯を襲った大地震。テレビで倒壊した高速道路の映像を見て、学生時代よく通った神戸の街のあちらこちらから立ち上る黒煙を見て、慄然とした。

 

これらの震災で、多くの人が亡くなり、多くの人が、家族を失い、家や財産まで失った。誰も守ることができなかった。 

人知の及ばない自然界の力。これに対抗するべく「防災」と称して、対策を講ずる。その度に、想定以上の力で襲ってくる自然。さらに、対策を講じ、そこに想定外が起きる。まるでイタチごっこだ。

想定外があるのを前提に災害を減らすという考えが必要かと思う。

まさに、判決文にあるとおり。

人知は自然の前では無力であるとを真摯考えるだと思う。

その結果として、避難所でプライバシーのない、寝食に苦労する不自由で窮屈な生活で辛い思いをする期間や人数を減らしたり、エコノミークラス症候群で亡くなる人も減らす事ができるのでは。

それ以上に、災害によって怪我をしたり亡くなる人も減らせる事ができるのではないかと思う。

「減災」の考えは、ずっと前から言われている。日本でも、「減災」の取り組みは行っているのかもしれない。

今の被災地の様子みるに、そうは感じられない。

災害は、地震などが過ぎた後も、避難場所での生活を強いられたりすることも災害だと思う。

避難所で不自由な生活と物資不足。政府はどんどん物資を送ることは送るが、送ればそれで終わりと思っているのか、送りっぱなしでのような気がする。物資の多くは避難所に物資は十分に届いていないようだ。
阪神大震災東日本大震災の時もそうだったように記憶している。

 活断層が密集し、南海トラフ地震の被害も想定されている大阪を含む関西。21年前に阪神大震災があった記憶はまだ心の深くに残っている。活断層地震が起きる確率は低いにしろ、0ではない。いずれかの時に起こり、熊本地震と同じように、活断層同士が影響しあい、大きな地震が連続して起こる可能性もある。また、南海トラフ地震で大きな津浪が襲ってくるとも言われている。これは日本のどこにいても同じかもしれない。

自然環境豊かな日本、四季折々に美しい景色で目を楽しませて、心を和ませてくれる。その裏返しとして自然災害が多いとも言えるかもしれない。日本にいる以上、災害に遭うものと、ココロしていないといけないかもしれない。

災害だけではなくいずれのことに於いても、常に想定外はおこるものと思っておくものだろう。

 しかし、これが過ぎると「杞憂」になってしまうこともある。

 

想定外という言葉は、平時には、耳にしない言葉だ。しかし、ここ数年よく耳にするようになった。よく言われる言葉なので今更取り立てて言うこともないと思うが、熊本の地震と先月の大津裁判所の原発運転差し止めの判決を読んで、思うことを書いてみたくなった。

 

今回の熊本地震被災された方々には、こころより見舞い申し上げます。
早期の地震の終息と、早急なる生活環境の改善をお祈りいたします。