「月はどっちに出ている?」
空で月があかるくかがいているとき、見上げると月はそこにあるります。
しかし、見ていないときは、月はどこにあるのでしょうか?
変わらず同じ場所にあるはずです。
しかし、それをどう証明すればいいのでしょう?
他の人に見ていてもらえばいい。
では、誰もみていないとき、月はどこにいるのでしょうか?
答えは、月は誰も未定なときは、所在不定状態になります。
月は見ていようが見ていまいが、同じ場所にあるというの普通の考えです。
ちょっとわかりにく話ですが、
「量子論」によると、月は誰もみていない時は、月は所在不定なるようです。
月の所在は、どこか一か所でなく、さまざまな場所に存在するという表現ができる状態になるというのが「量子論」の考え方でです。
月もすべての物質も細かくしていけば、ミクロの物質の集合体です。
その次元の話になると、誰も見ていないときには「どこか一か所に存在する」と断言できなくなるということです。
しかし、この量子論の考えにアインシュタインは納得できなかったようです。
「月は我々が見ていたからそこにあるというのか?そんなはずない。誰も見ていなくても、月の居場所も電子の居場所も、物理学の法則に基づいてどこか一か所にさだまっているはずだ」というのがアインシュタインの主張しました。
アインシュタインの主張にかかわらず、現在の物理学における主張の考え方は、アインシュタインの主張でなく量子論のほうに軍配をあげていようです。
物質の元の元素の元のミクロの物質は、普通「粒」だと思っていますが、「波」としての性質も持つという二面性を持っていることが量子論で、明らかにされました。
波というのは、どこか一か所にあるものではなく、広がりを持っていて、誰にも見られていない時、ミクロの物質は波になっている量子論の考えによります。
この世にあるものすべては、細かくしていくとミクロの物質に分解されます。
このことからすると、自然現象にも「絶対」はないということになります。
普段見ている物は、誰も見ていないときは、所在不明になるといえます。
例えば、探し物をするとき、いくら探しても見つからないことが良くあります。
しかし、しばらくして探し出すと、とても見つけやすいところにあったりすることがあります。
注意散漫で、見つけることができなのかもしれません。
しかし、ひょっとすると、探し物がそのときは所在が不定になっている状態だったというこも言えるかもしれません。
こうして考えると、量子論の世界って面白いと思えます。
量子論が、日常生活にどれだけ役に立つかというと、疑問です。
しかし、ミクロの物質の小さな世界から見ると、人と人、物とモノとモノの区別なく、ミクロの物質があるか確率で出たり消えたりする世界になり、一つの空間としての扱いに成るのかと、思いを巡らしますと。
日々の思いや、行い、起きることなどが、理論上説明できないことも、ミクロの世界で考えると、世にあるものすべてが、波の性質をもつミクロの物質の濃淡でつながっていて、物質の状態は決まっていないとも思えば、強く願えば、その願いのエネルギーがミクロの物質に影響を与えるなんてこともあるかもしれません。
日々見聞きする世界とは別の根本のミクロの世界が広があり、それが、なんらかの形で、人が生きる世界に影響を与えているようです。
今回読んだ本です。ホームズが量子論の謎を解いていくという設定から始まりましです。とてもわかりやすかった。
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