天が落ちてこないか?
中国にあった「杞」国の人は心配していた。
落ちてこないとも限らない。
落ちてくくるわけない。
かつての中国では大地は正方形で、四隅を天柱という柱で支えていると考えていたようだ。
「杞憂」
極端な心配性や取り越し苦労のことを杞憂と言うが、これは杞に住むある男が、「いつか天が落ち、地が崩落して身の置き所が無くなってしまうのではないだろうか(中国では昔、大地は正方形で、四隅を天柱という柱が支えていると考えられていた)」と心配して、夜も眠れず食事もとらなかったという故事に由来する。杞人之憂。杞人憂天(中国語版)。出典は『列子』(ウィキペディア「杞」より)
このことから「杞憂」という言葉が生まれたようだ。
今では、
落ちてくるとしたら、人工衛星や彗星かハルマゲドンのような大きな隕石?
それもとも・・・・。
それか、雨とか雪とか氷とか?
でも、心配は尽きない。
いつ起きても、不思議ではない。
気になる東南海地震震源の近い所へ出張にいって宿泊するときは、
その地域のハザードマップを確認し、いざという時逃げ場所は確認する。
これを杞憂と言うのか?
とにかく、心配性。
いくつもの段階で役所に手続きが必要な仕事で、
それぞれの段階の手続きをちゃんとしたのに、
しばらく経って突然と気になる。
確認しようと、
PCにあるファイルを漁って探すこともある。
常に、普通の人なら起こり得ないと思うことを心配している。
これが杞憂と言うものだろう。
ネガティブな想像力が豊かなのかも。
心配することにかけては、人には負けない。
子供の頃から、決してあり得ないことを心配していた。
心配が服を着て歩いているよう。
歳を重ねるに連れて、徐々に慣れてきた分もある。
慣れて、新しい杞憂を求めてしまう傾向にあるようだ。
常に心配の元を探していると言われても仕方ないかもしれない。
自分で心配作って、心配している。
遺伝かもしれない。
あまり、
人の前で話をするのもあまりすきではないし。
小心者なのだろう。
それから、心配性なのは、いろいろなことに巻き来れたくないという気持ちからかも、
邪魔臭がり屋だし。
やはり、「心配」するような事がないのに越したことはない。
しかし
これから、先はそうも言ってられない。
政府は一生懸命に医療費削減をしようとしているし、年金財政は苦しそうだし、
これからの先の社会福祉はどうなるのか、
年をとって、元気であればよいけど、
体の自由が利かなくなったとき、どうなるのか?
日本の景気はどうなる。
東南海地震はいつ起きる。
などなど、
それに個人的なことがかかわってくると、
心配事は尽きない。
というわけで、
気分転換に京都へ行く。
昨日は、八坂神社の東に円山公園のしだれ桜を見に行った。
ソメイヨシノはまだのようだった。
ほかの種類の桜が咲いていた。
桜はまだだけど、花見の宴会ムードばっちし!
近くの公園では今夜に宴会向けて場所取り。
準備も万端。
これから花見シーズン。
しだれ桜
濃くなりつつ緑の中に点々と山桜の淡いピンクの花を咲かせていた。
一番長いバス路線とか。