いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

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退屈な時間

もういくつ寝ると正月だろうか?

その前にクリスマスががあった。

お正月もクリスマスも子供頃とは様変わりしたなと思う。

歳をとったのも原因だと思う。

そう45年近く前の子供頃はまだ、今から思うと不便な時代だったかもしれない。

コンビニはないし、インターネットもなかった。

しかし、あの当時でも便利になった時代だったかもしれない。

高度経済成長から、便利さは加速して、

さらにインターネットの普及で、加速した。

そしてとても便利な時代になった。

特に人が多い都会だと、衣食に関しては24時間ほぼ最低限に必要なものが手に入るともいえるだろう。

しかも、しかも深夜割増料金なしで、安価で提供されている。

まだまだ、便利さは進化するかもしれない。

 

便利さの流れは、人のわがままをかなえてくれる。

外出するのが面倒だから買い物に行かずネット注文して、食事のあとに運動不足だからとダイエットのためにランニングするなんてわがままができる。

 

   

 

時代とともに、生活の様式もかわり、

変化にあわせて 便利さが進化していった。

結果、なんとなく、味気なくなった。

ありがたみがなくなった。

 あった当然、サービスがあって当然という、気持ちになった。

 

特にお正月。

まだ子供のころのお正月はそれなり味が残っていたように思う。

日本全国が共通認識で認めた休み、日本人の多くは休み。

親族が集まったり、静かに過ごしたり。

市場、スーパーは閉まっている、百貨店も休み、飲食店も休み。

買いもや外食ができない。

初詣で賑わうところは別にして。

大阪一の繁華街の梅田もガランとしていた。

お正月前に買い忘れたら正月明けまで手に入らない。

行動が束縛されいた。

不便だった。

そんな時代だった。

それがそれで正月感があってよかった。

正月明けのスーパーや百貨店のオープンが待ち遠しく思ったものでした。

通常と不便とが繰り返され生活にリズムがあった。

 

   

 

 

今なら、大みそかまで買い物を済ませずに、年明け手から買い物に行って、

買い忘れたおせちや雑煮の材料を買うこともできる。

それの方が安いかもしれない。

かつての正月は、いつもの休みと違った雰囲気で、ちょっと退屈で、その退屈さも許される。

そんな時代だった。

子供頃体験した正月感がなくなったと感じる。

子供が大きくなって生活環境が変わったからかもしれない。

 

今の時代、多くの人がスマホなどインターネットに忙しく、退屈さを感じることはななかな難しいかもしれない。

退屈を感じたら、スマホでゲーム。

歴史的に名を遺す人のかなで、長く退屈で無聊な日々を過ごし、その時期を経て、成功したという人も少なくない。

退屈な時間に何をするか?

退屈な時間は自由びに使える時間だといえる。

退屈な時間の使い方が、人の生き様に影響を与えるかもしれない。

世の中がそれを許さない。

スポーツでも、同じことを何度も何度も繰り返す退屈な練習をすることがあるようだ。有名な選手でこう行った退屈な時間を過ごしてきた人もいるようだ。

 

退屈力 (文春新書 628)

退屈力 (文春新書 628)

 

 

時間があれば、何かを次から次へとこなし行かないといけないという脅迫観念に囚われているような気がする。

年に一度くらい、退屈な時間を過ごす。

こんなことがあってもいいかもしれないと思う。

 こころにゆとりができるかもしれない。

 

 

昨年の大晦日の八坂神社仏閣。初詣に向けて、神社や屋台の準備に忙しくてそうだった。

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大晦日には大晦日の行事もある、大祓

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錦市場

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