いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

水が危ない?

水は少しだと、人が飲用や生活に利用できる。多くなると、やまも岩も家もなにもかも飲み込む濁流になる。しかし、ちゃんと管理した流れなら、電気を生む、農業に利用したりでき、人の生活に役立つ。

水は社会の命の元といえるかもしれない。水がないところに人は住めない。

その点、現在一億二千万人以上の人が暮らす日本列島。日本は水資源に恵まれている国と思われているかもしれない。

蛇口から水はいくらでも出てくる。止めない限り流れ続ける。日本の水道普及率は96.6%、水道事業によるものは96.1%(平成12年の資料)。これだけ普及していればそう思う。水に不自由しない。

f:id:m3785com:20190418195923j:image

 

水資源の日本のランキングでは、それほど良くない。2010年の日経新聞の記事に一人当たりの水資源のランキングがあった。177か国中日本は98位。人口が多いからしかたないかもしれない。グローバルランキングというサイトに、水資源量のランキングがあった。2014年のもので、日本は177か国の中で、27位。微妙な位置だ。

日本は思ったほど、水源の豊かな国ではないと思う。例えば、夏に少し日照りが続くと、水不足になり、取水制限される。関東でも最近そんなことがあったのではないだろうか?

水源が多いと思うのは、雨が多いからだろう。雨は降ると、急峻な日本の山の滑り降り海に流れる。結果、陸地に貯められる水が減る。ただ、雨と違って、雪だと、山の上で水を貯めてくれる。そして、春になると徐々に溶けて流れだす。例えば、新潟などの越後あたりで、雪が降らなければ、関東はその夏は渇水に見舞われるのではないかとも思う。

水は決して、あって当たり前というものではない。

いつ無くなってもおかしくない。

しかし、今のところ、毎年雨は降り、雪が積もる。

ただ。これからは地球環境のことも考えていかないと、今のような豊かな環境が失われる可能性はある。水資源のことも当然考えないといけない。

f:id:m3785com:20190418200119j:image

今は、水資源の問題以前のことで水が危なくなっている。

水は大切だ。よく水道に「節水」と書かれているのを見かける。水は大切だから、大切にしようと、節水を心がけ、無駄に水を使わないように心がけよう、そう言う意味かと思ってた。日本人の心にしみついているのではないだろうか。自分も水が出しっぱなしになっていると、勿体ないなと思う。

しかし、節水の水は、本当の水なのだろうか「水道水」なのだろうか?

「節水」の意味は経費節減の意味だったのだろうか?自分が感じた「勿体ない」はお金のことだったのだろうか?

最近では、地下水を利用しようとする会社も出てきた。地下水だと災害の時も利用すること可能かということだろう。病院などは、地下水が利用できるようにしないといけないようだ。
使用する水道の水が減っだだけで、水の量は変わらないようだ。

朝日新聞のニュースで
「水道料金、地下水に切り替えて節約→減収の自治体は悲鳴」があった。静岡県磐田市の大型商業施設が年間約14万トン使用すると見込まる水の半分を地下水を利用し、水道水の使用量を減らそうとしたとあった。

これにより、市の水道局の収入が年間1,000万円以上の減収となったそうだ。市の水道収入の0.5%にあたり、200世帯一年間に使う量となるようだ。

こうしてどんどん、公営水道を使わなくなって、収入が減っている水道局が多くあるようだ。水道局の収支がわるいところも多くあるようだ。

設置後数十年経って、交換時期にある水道管がたくさんあると報じられた。このままだと、古くなった水道管の交換に必要な予算を組むことができなくなりつつあるところもある。

そこで、水道局の経営効率を良くするためにだろうか?民営化が一時話題になった。法制化もされたかな。

どっちにしろ、最終的には、水道料金の値上げとなって庶民の生活に重くのしかかる。

値上げがあって、水は大切。水資源が豊かであっても、こちらに来なれば意味がない。背に腹はかえられない。