いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

今週のお題「私のふるさと」夏が来るとふと思い出す「私の第二のふるさと」の想い出。

大阪生まれの大阪育ち、ふるさとは「大阪」

子供頃、母方の実家にはよく行ったので私にとっては「第二のふるさと」のような感じです。

子供頃は、夏休みになると毎年母方の実家にいっていました。

兵庫県の加西市にあります。

母の実家は薬局で、店は伯父が店を切り盛り。
祖母と伯父の家族で暮らしていました。
私より何歳も年上の従兄弟が3人いました。

初めて母の実家に行ったのは、幼稚園に入る前。
母が入院するので、
幼稚園に入る前の私の面倒を祖母が見ることになって、
実家で預かってもらうことになったためです。

それから、
高校生になるまで、毎年夏になると行っていました。
それが、夏の一つの楽しみでした。

大阪とは違い兵庫県の内陸の田圃が一面に広がる土地でした。

緑が多いので、兄も来て、従兄弟と一緒にカブトムシやクワガタをとりにいっていました。

「となりトトロ」とまでは行きませんけど、

すぐ近くに、うっそうとした緑の世界がありました。

第二のふるさとの記憶の破片。

実家の記憶は、切れ切れに残っています。

最初に母の実家に連れていかれた日のことも切れ切れながら覚えています。

行った時は、薬局が休みの日で、店の窓には、カーテンが引かれていて、
夕日が、カーテンを通して鈍く差し込み、
照明のを消している店内を薄暗く照らしていました。
柱には黒いハト時計があり、
時計から、細い鎖のようなものが垂れ下がっていました。
動いているのか止まっているのかわかりません。
かわった時計だなと、その時計が気になりました。

そして、

その夜だったと思います。ひどかったです。
祖母の横に寝ていたいのですが、急に「大阪に帰る」と泣き出したのを覚えています。
祖母は、「もう遅いからバスもないし、」と私をなだめようとしていました。
私の鳴き声が五月蝿かったのか、年の近い(中学生ぐらい)従兄弟がが来て、祖母と一緒になだめてくれました。
そして、実家の横の道路をトラックが通るたびに、私は「バスはしっている」とごねていました。
しかしそのうち疲れて寝てしまったようです。
その後の記憶はありません。

他愛のない話です。

私にとっては、懐かしい記憶です。

その家も今は場所を移り、何度か改装されて、今は、私をなだめてくれた従兄弟の代になっています。

もう、昔よく行った母の実家ではありません。

数年前に

伯父も祖母も他界し、母も後を追うよう他界しました。

夏が来るとふと思い出す「私の第二のふるさと」の想い出。