今朝、大阪は、台風27号の雨も止んで、西の空には雲切れ間が見え始めてきました。
マンションの庭には、「木犀」が咲いていました。
近寄っても、木犀の花の香りがあまりしません。
しかし、顔を花に近づけて見ると、良い香りがしました。
香りが弱くなっているようなので、もう季節も終わりでしょうか。
記憶に新しいところでは、先週の台風26号。
この台風の影響で、伊豆大島を、10月14日〜16日の間に824ミリという記録的な大雨が襲いました。
人の体は、子どもでは約70パーセント、成人では約60~65パーセント、老人では50~55パーセントを水が占めているようです。(サントリー「水辞典」より)
人は水があれば、食べたなくても一カ月ぐらい生きることできるという話も聞きます。
反面、水がないと、3日も生きれないとも聞きます。
それ以外にも、「水」は今、私たちが暮らしで使っているもの全てに使われています。
卑近なところでは、料理するにも、入浴するにも、トレイにも「水」が必要です。
日々食べているコメなどの穀物、肉、魚、野菜なども「水」がなければできません。
さらに、日々使っているコンピュータも水がなければできません。
鉄も電気もガスも何もかもが製造過程で、水が洗浄や冷却等に使われています。
超純水の用途は当初より多様であり1966年の文献には、電子工業、貫流ボイラの復水処理、原子力発電、合成繊維工業、有機無機薬品工業、製薬工業、写真工業などが挙げられている。(ウィキペディアより)
水をさめるという「治」という文字が象徴的な感じです。
「治」という文字はよく目にします。
この文字は、
太宰治、手塚治、福山雅治、加藤治子、武田真治、上原浩治、王貞治、大滝秀治など、いらっしゃいます。
そして、
「政治」「地方自治体」「治安」 「治療」「治癒」「不治」。
言葉としての使われ方は、安定や平和に関連するような意味で使われています。
普段、新聞やテレビでもよく見かける文字だと思います。
この文字は、私が見ても文字の意味がなんとなくわかる文字です。
「さんず」に「台」。
「台」の左に水があって、右には水がありません。
「台」は堤防などを意味するのでしょう。
この文字自体が、水を管理するという意味ではないかと思います。
調べてみますと、
河川に作為を加え、洪水を防ぎ、水利を行えるようにした、即ち、河川をおさめたことが原義。そのように、乱れたものに手を加え、秩序をもたらすこと。
中国の水資源は豊富ではない上に、その水がかなり汚染されているようです。
中国の年間の水使用量は6000億立方メートル。1人当たりの使用量は400立方メートルで、米国人の平均の4分の1だ。国際的に定義される「水ストレス」(1人当たり年間使用可能水量が1000立方メートルを下回り、日常生活に不便を感じる状態)のさらに半量を下回る。
さらにその少ない水の5分の4は南部に存在し、人口の半分と農地の3分の2は北部あるという状況のようです。
北京の水不足は、1人当たり年間水使用量がわずか100立方メートルというサウジアラビアの状況に似ている。北京の地下水面は1970年代に比べて300メートル低下した。
中国の水は、人が接することができないような水もあるようです。
華北平原の地下水の半分以上は工業用水には使えず、7割は人体への接触にさえ適さないという。つまり、洗濯も入浴もできないということだ。
さらに、水不足はエネルギー問題にも影響を与えそうです。
中国にもシェールガスが多くあるようですが、それを掘り出すにも大量の水が必要です。
さらに、約450基の石炭発電所の建設を予定しているようですが、石炭を洗ったり、冷却水に使ったするのに大量の水が必要です。
それだけの、水が賄える水の余裕がないようです。
さらに、水問題を解決するために、川にダムなどを建設を予定しているようですが、
川の下流にベトナムやタイなどの東南アジアの国々があり、
無茶なことをすると国際問題になりかねません。
仮に無茶をしたとしても、十分ではないようです。
中国の大気汚染の深刻さは、日本に影響を与えるということで、テレビや新聞で報道されますので、認識はありますが。
それ以上に水不足が深刻な状況のようです。
中国の事は、他人事でありません。
日本は、水資源豊かな国と思っていましたが、そんな事はありません。
最近の大雨で、忘れてしまっていましたが。
今年の夏は、関東は水不足でした。
夏になると、各地で水不足による給水制限があります。
日本は降雨量は多いとしても、急峻な山が多く、降った水の多くが海に流れ込んでしまうようです。
各地で集中豪雨のあった夏でしたが、今年の7月、利根川水系の八つのダムの貯水率がさがり、6都県で10%の取水制限がありました。
19年ぶりの事のようです。
台風の影響による大雨で、ダムの貯水率も改善したと思います。
決して、日本は、水が豊かなくにではありません。
日本は水が豊かだと思っていたのは、上下水設備が整っているおかげで、蛇口をひねれば、いつでも「水」出るようになっているからです。
社会的インフラが整備されているから、
日本は水資源が豊かだと誤解していたのかもしれません。
その水資源は、ちょっとした自然環境の変化で大きく影響を受けます。
台風の数にも影響を受けます。
技術の進歩、電気使用量の増加、生活が豊かになると、
ますます「水」の需要は増えていきます。
如何に、「水」を確保するかが、大切な問題になっていくでしょう。
「水」をうまく管理することが、政治の一つの役割だと思います。
政治には「治」があります。
「水」不足は国家の元にも影響する可能性があります。
大水にも、渇水にも対応できるようなシステム構築が急がれるのではないかと思います。
「治」という文字、単純ですが、
なんか象徴的だと感じます。
「水」は、気ままです。
人類自体が自然まかせの「水商売」のようですね。
水は大切に使いしょう。