この表示も、もうすぐ見れなくなる。
2024年3月16日(土)に北陸新幹線が敦賀駅まで開通する。
かつては、雷鳥という特急列車が、金沢・富山・糸魚川・直江津・新潟まで走っていた。
学生の頃は、特急「雷鳥」に乗って、北陸に何回か行った。
初めて特急「雷鳥」に乗ったのは、高校生の二回目のひとり旅に北陸に行っとき。
高校2年生の夏休み。
まだ、少しビクビクしながらも、ひとりで好きに行動ができるワクワク感でいっぱいだった。
初日は、「親不知」まで行った。それから「富山」「七尾」「金沢」と、輪島まで行ったかは覚えていない。
親不知の民宿での話は今でも少し覚えている。
民宿に着いて、部屋に案内された。広い部屋にカーテンレールの仕切りだけがある部屋で、その部屋の中で指定された場所は窓側だった。
さー落ち着こうと思ったら、次の宿泊客が上がってきた。
上がって来たのは、なんと女性だった。
大きな部屋に仕切りがカーテンレールだけと言うのは、少しためらいがあった。
「どうしよう?」と思っていると、宿の人が来て、部屋を変わって欲しいと言われた。
当然だろうと思う。
おそらく、自分の名前が女性の名前っぽいので、女性と間違ったのだろう。
案内されたのは、下の階の応接間のような洋室だった。
少し暗いが、ちゃんと扉も窓もあって落ち着けた。
部屋を移ったとこを気にしてか、宿の人が部屋をのぞいてくれた。
少し話相手になってくれたりした。
この部屋を出ると暗い広間があった。曖昧な記憶だが、とても広かった。おそらく広間の先には仏様がいらっしゃったのだろう。
この日は、落ちつて寝ることができた。
前の部屋のままだと落ち着かず寝れなかったかもしれない。
次の朝出る時に、お弁当を持たせてくれた。
この思い出は、半世紀近く経った今でも覚えている。
夏の日差しの中、市振駅まで歩いた。
歩いたのは国道8号線。海岸線を歩かなかった。
親不知き行きたいと思い行ったが。
その海岸線も今は高速道路が通っているような。
この場所も、一度は行ってみたいと思うまま年月が経った。
あの時は富山まで「雷鳥」で行き、富山駅から各駅停車で行った。
なんか、だんだん、大阪から遠くなったような気がする。
若い時の思い出が付いた「雷鳥」。
「雷鳥」という特急には、とても懐かしみと親しみを感じる。
しかし、「雷鳥」という特急の名前はなくなり「サンダーバード」になった。
同じ意味だけど。
やはり違う。
車体も変わった。雷鳥は485系ベージュに太い赤のツートンの電車だった。
サンダーバードは、真っ白で、サンダーバードの絵が描かれている。
一番直近に金沢へ行ったのは、四半世紀以上前、その時は車で行った。
いつか電車で金沢に行こうと思っていた。
金沢は好きな街だった。
金沢にある兼六園は日本三大庭園のひとつ聞いた。
岡山の後楽園は行ったことがある。
水戸の偕楽園は行ったことがなかったので、数年後、水戸の偕楽園に行った。
など金沢・北陸には思い出がある。
時が流れすぎた。
今、金沢に行っても、記憶を思い出させてくれるようなところはほぼないだろう。
そして、3月には、その「サンダーバード」も特急と言いながらも、新快速と同じ敦賀駅停まりとなる。それまでは、「サンダーバード」金沢へ一本で行けたのが、3月以降は、敦賀で新幹線に乗り換えないといけなくなった。旅費も高くなるのだろう。
3月までは、金沢へは、サンダーバードで乗り換えなしで、2時間44分で行ける。
新幹線が金沢まで開通するまでは、金沢は大阪の庭のようなものだった。
今は東京からだと、新幹線で2時間25分で行けるようだ。
東京からの方が早く行けるようになった。
JR 西日本は、株式を上場している会社だから、利益重視なのは、わかるが、冒険はしないのだろう。
ビジネスは別として、旅行は、時間優先だけでなく、美しい風景を見ながら駅弁を食べながら、旅程をゆっくり味わいながら行くのもいいのではないかと思う。
海外の人にも、受けいれられるかもしれない。
サンダーバードは新幹線開通後も金沢だけでなく、富山や新潟まで、高級特急列車として残せばいいのかなと思う。
寝台電車「日本海」も惜しまれなが、ダイヤから名前を消された。
勿体ないと思った。JR各社の都合もあったのだろうが。
再び、大阪と金沢が乗り換えなしで行けるようになるのは、いつの頃だろう。
もうその頃には、自分は、この世にいないかもしれない。
新幹線が敦賀に来るまでに、一度金沢まで行ってみようか。
最後に