いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

嵐の中のお墓参り 2024年3月20日春分の日

長くお墓参りに行っていなかった。

このお彼岸には行こうとと決めた。

そして、お彼岸の中日の3月20日に行った。

当初から天気予報は雨。

この日を逃すと、23日のお彼岸の最後の日しかない。

23日も予報は雨。

しかし、20日用にもうお供えなどを用意してくれていた。

 

どうなるか?

行くか?

延期して、彼岸以外の天気のいい日に行くか?

迷った。

朝起きて決めようと、寝た。

 

翌朝、曇っていた。

しばらくして日がさしてきた。

天気予報も変わる!

たとえ、雨が降っても、行けば快方に向かい雨も止むだろう。

行くことに決めた。

 

新大阪駅北側のバス停からバスに乗った。

雨もなくバスは高速道路を快適に走った。

バスが、高速を降りて、目的地に近くなるにつれて、空に黒い雲が立ち込め、雨が降り出した。

やっぱりダメか、雨は降るか!

多少の雨なら対処は用意してきたので、大丈夫と思った。

 

雨が降っても、シートを敷いてお参りはできる。

それなりに対処は考えている。

 

少し、雨が強いかなと思いつつ、

バスを降りて、お墓に向かった。

お墓に向かうにつれ、雨と風が強くなり。

雨が雪に変わった。

嵐になった。

風は、吹きつける方向が、どんどん変わり傘を風の方向に向け傘が取られないようにするのが精一杯。

濡れないようにと考える余地はなかった。

とにかく歩くのも難しい状況。

お墓近くの途中の四阿で少し体制を整えた。

その間も風と雨は荒れた。

雨は横に降っていた。そして雪になったりした。

自分たち以外にも、他にお墓参りに来て入るひとを見かけた。

傘がボロボロになっていた。

もう嵐の状態。

テレビでよく見る台風の時によく見た映像ににていた。

嵐に備えてはしてこなかった。さらに寒い。

雨も風も冷たい。

そんな中でも。

ここまで、きたらと、お墓に向かった。

四阿からお墓び向かい出すと、さらに風が強くなった。

風に押され傘を取られないようにしていた。

しかし、一瞬、吹いた風に傘は取られ、ひっくり返った。傘が壊れた。

その瞬間何があったかわからなかった。

連れ合いの傘も壊れた。

お墓の前では、櫁を立てて手を合わせるだけで精一杯。

櫁を立てるのも苦労した。

お供えをすることはできなかった。

そんな中、お墓に向かって、手を合わせた。

長くはできなかった。

この間も、雨混じりの風が体を押してくる。

傘もうない。

体が一瞬取られそうになった。

とにかく、お墓の前で、手を合わせて、先ほどの四阿に避難しようと向かった。

ひどい風雨の中でも来る時は、まだ長く感じられなかった四阿からの道が、戻る時は、まだあんなに先にあるのかと思うぐらい、いくら歩いても、遠く感じた。

その間も、風が体を持っていこうと強く吹いた。

吹き付ける雪混じり雨が顔にあたり痛いかった。

指先は感覚を失いかけた。

四阿についた時には、上着には雨粒でいっぱい。

ボケットの中も。

スマホもしっとり濡れた感じ。

リュックも浸水していた。

とんだ墓参りになった。

 

帰りのバスを待っていると、日がさしてきた。

雨の様子を見て。先ほどできなかったお供え物をお墓に供えに再度行った。

この時、再度ゆっくり手を合わせた。

薄日がさしていたが、小雨混じり風は強かった。

ふとこの状況で、昔に冬のひとり旅で、冷たい小雨の中歩いたことを思い出した。

 

ここの墓地は、整備されていて、お墓参りと言っても、草むしりなどする必要はない。

暴風雨の中も、どっから飛んでくる枯葉やゴミも一切なかった。

綺麗な墓地だった。

 

新大阪に帰って、少し歩くとあちこちに、枯葉やゴミが散乱していた。

ここも風が強かったのだろうか?

新大阪についた頃には、夕日が何事もなかったかのように、強く濡れた路面を眩しく照らしていた。

 

長く行っていなかったお墓参り、嵐の中でもお参りだったが、長いこと無沙汰しているという負目と言うか「心の負債」が取れたのかわからないが、まぁいいかっと、眩しい夕日の中、家路についた。

 

何か、印象深い墓参り。

これもひとつの印象強い思い出になった。

妻はどう思っているかわからないが。