いまこのときが大切

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【閑話】 言霊(ことだま) ≪「決定版 日本史」をよんで。≫

渡部昇一氏の「決定版 日本史」を読み終えました。

いつものごとく時間がかかって。

決定版・日本史

決定版・日本史

渡部昇一氏は学生の頃から知っていて、数冊著書を読んだことがあります。

牛乳瓶の底のような眼鏡をかけた人という印象が残っています。

氏は読書家で、たくさんの書籍を読んだ人だという印象もあります。

ウィキペディアで調べてみると、

 渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年(昭和5年)10月15日 - )は、日本の英語学者、評論家。上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。学位はヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学博士。称号・名誉学位はヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学名誉博士。保守論客の一人。

古書の蒐集家であり、専門の英語学関係の洋書だけで約一万点を所有。その蔵書目録はA四判600ページあり[1]、日本ビブリオフィル会長を務める。

学者としての専門外ではあるが、渡部は日本近現代史に関する発言を積極的に行っており、日中戦争大東亜戦争(太平洋戦争)の勃発原因について、中国およびアメリカ側が仕掛けたとする主張をしており、広い意味での陰謀論の支持者と見なされている。の学校で習った歴史の見方の方が正しかったと主張している。

この本は、このような古書の蒐集家であり近代史に関しての論客である渡部氏が、日本の始め、伊弉諾尊伊邪那岐命から民主党政権までの日本の歴史について、氏の歴史観で語られています。

しかし、読んでいて共感するところが多く、日本の歴史の面白さを再認識。

日本は、和歌の前に平等であるということが書かれていました。これは大変興味深いものがあります。よく古事記日本書紀で読み人知らずというのあります。これはこのことによるのでしょう。

 古代ローマ帝国では法の前で平等であった。また、シナでは皇帝の前に平等で皇帝だけが偉かった、とう見方ができる。

ところが、日本の場合は変わっていて、「和歌の前に平等」という思想があったようである。歌が上手であれば天皇と同じ本の中に入れてもらえるのは、この「和歌の前に平等」という思想を如実に表しているように思われる。

日本は言霊信仰があって、言葉に霊力があると信じられていた。それゆえ日本語というものに対して特別の尊敬心があった。それを上手く使える人間は、人の心を動かすことができる。ゆえに、和歌ができる人は天皇と同じ本に名前を入れる価値があるという発想があったと思われる。

しかし、これは後年になると多少緩んできて、あまりに身分の低い人や罪人の場合は「読み人しらず」として勅撰集の中に入れらるようになった。

 その他にも、歴史の出来事が日本人へどのような影響を与えてきたかも、時代ごとに書かれています。歴史の流れを理解するのには、面白い読み物でした。

 

歴史の評価は次の世代以降に、時代時代の都合でになされるものです。

その評価が史実で反することであっても、時の政府の都合で、正統性をもたされ、反証となる史実はお蔵入りにされる。これが歴史が歩んできた歴史です。多くの歴史の書が、以降の王朝や政府によって編纂されています。歴史家は、それらの歴史資料と物理的遺産を分析して、どのような事情があってどのようなことが起きたかを評価していきます。時としては、その史実は政府の事情で抹殺されることもあり、それがのちの世代に発見されて、新しい歴史として評価されることになったりします。歴史は過去のことであり、しかし、このような事情のもと常に変化しているように思います。


しかし、今の日本では、渡部氏など多くの人が、それぞれの歴史の証拠の蒐集と分析で歴史を評価して自由に発表することができます。今、私たちが学生の時に学んできた歴史とはちがった評価や考え方を、われわれはそれを容易に入手して知ることができます。しかし、その著者個人の評価が必ずしも、史実に合致しているかというと、そういうことでもありません。

人は自分の評価等を正当化するために、一つの史実を取り上げ、そして、整合性の合わない史実は評価の材料に入れない。これは、仕方がないことです。

歴史は、人が評価するほど、小さなものではありません。平成を生きている私たちにおいても、平成の歴史を完全に知りえているかというとそんなことありません。平成の私たちが書いた文書を、後世の人が見て平成を評価するとき、どのように見えるでしょうか?その時代時代の人がその時代の流れの中の一つのポイントを史実として書き遺し、その視点は書き遺す人ごとに微妙に違ってきます。文字使い方、表現方法等、言語等で、違ったものになることもあります。

言葉は、人の思ったことを表現するツールですが、それで、人の思っていること全てを表現できるものではありません。便利で不便なツールです。

言葉は発する人によって言葉の意味が変わったりします。

日本人が「言霊」を大切にしたのは、うなずける感じがします。

日本語は、一つの事象を表現するにもいろいろな表現方法があって、その表現方法で人の気持ちを表すことができる言葉に厚みの大変すばらしい言語だと思います。

同じ「あお」でも文字にすれば、「青」「蒼」「碧」「藍」などで表現できます。

「はし」という言葉に発すると「橋」「端」「箸」「嘴」として伝えることができます。

日本語の楽しみ方が、俳句、川柳、和歌でもあると思います。

今はパソコンが普及して、文章を書く時は主にパソコンが使われるようになりました。パソコンの変換機能のおかげ、難しい漢字を使うことができるようになりましたし、その半面の言葉の表現が平易になってしまったかもしれません。


今朝の空。青い空が広がって、夏らしい空でした。

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「青い空」と「蒼い空」では、見た人の感じか方は違うでしょうか?