中国の歴史で一番興味があるのが、春秋戦国時代。
この時代の書籍はよく読んだ。
ほとんど小説。
最初に読んだのは宮城谷昌光氏の「重耳」だった。
それ以来、宮城谷氏の著作を続けざまに読んだ。読むごとにこの時代に興味を持った。2、3回読んだものもある。
続けで陳舜臣氏の「小説十八史略」を読んだ。第1巻第2巻が神話の時代から、漢王朝までなので、この2冊は何度か繰り返して読んだ。
3巻以降は、
「中国の歴史」と言う全8巻の分厚い文庫本も読んだ。
その他、「史記」と言う題名の書籍も何種類か読んだ。
そして、最近、「現代活学講話選集1 十八史略(上) 激動に生きる強さの活学」を読んだ。
安岡正篤氏
初めてこの人の本を読んだ。名前は以前から聞いたことはあったが、どんな人かわ知らなかった。
戦前から戦後にかけて政治に関係深い人で、安倍総理のお祖父さんの岸信介氏と組んだことある。
二二六事件に影響与えかもしれないとウィキペディアにあった。
多くの政治家に講話をした人のようだ。
戦前から戦後にかけて、知る人ぞ知る人だったのだろう。
一時、元号の「平成」もこの人の発案だという説もあった。実際は違い山本達郎氏だとのことだ。
戦後の歴代総理に「日本の黒幕はだれか?」と聞けばほとんどの首相が安岡正篤の名前を挙げたという。数々の伝説を残し、政界・財界・皇室までもが安岡を頼りにしていたことから「昭和最大の黒幕」と評される[28]。安岡本人は「自分はただの教育者にすぎない」と考えていたため、「黒幕」と言われるのを嫌がった。しかし、自分自身が直接権力を持たない反面、権力者に対して絶大な発言力を持っていた。名のある大物ほど安岡の教えに心酔し、意見や講演を求め、本人の意思に反して各界に影響力を拡大していったためである。(ウィキペディア「安岡正篤」より)
多くの政治家が安岡氏から話を聞いているはずだが、安岡氏の話したことが実際に効果があったのかどうか、戦後の歴史を見ると疑問が残る。
本書の最初に安岡氏の息子さんが「文庫版のまえがき」の中で、安岡氏の古典の学びかたや中国の歴史について語ったことについて書いている。
父は古典の学び方として経書とともに史書を読むべきと常に強調してた。・・・中略・・・「学問について、一つの目的から資料を集め、これ等を比較検討して、何等かの結論を出してゆくような客観的・科学的なことよりも、自分の内心に強く響く、自分の生命・情熱・霊魂を揺り動かすような文献を探求し、遍参した。」
父はよく中国の歴史の妙味は春秋時代から漢、三国までで、本当の人間、本来の文明・文化ちうものがつかめるとっ語っていた。
歴史に関しては、よく接するのは歴史小説。
自分のようなものは、史書を読むことはできない。歴史小説などを読んで、それに変えることしかできない。
歴史小説は、著者のいろいろな考察や思いが込められている。
同じ時代の人でも著者が違うと、まったく違ったと人格で小説に登場する。
どちらが正しいかではなく、双方正解ということもある。
ヒトは一面だけで表現できるものではない、いろいろな面がある。
主人公やその取り巻きのヒトだけでなく、その時代の裏に隠れて、小説には描かれない背景や人の営みなどに思いを馳せたりする。
気になれば、スマホで検索して、調べる。頭の中にあるいろいろなピースをつないでいく。
ただ起きた事実だけを読んだりするのではなく、その時代を考え、その時代のヒトの生きざを思い、自分なり一つ歴史観を積み上げていくのもお面白い。
今まで多くの歴史小説を読んだが、印象深かったの「重耳」。
国を追われ、19年逃げ回った皇子が国に戻り王になる。と聞けば情けない王のように聞こえる。この王は春秋時代でも名君となった。
文公(ぶんこう、紀元前696年 - 紀元前628年、在位紀元前636年 - 紀元前628年)は、中国春秋時代の晋の君主。姓は姫、諱は重耳(ちょうじ)、諡は文。晋の公子であったが、国内の内紛をさけて19年間諸国を放浪したのち、帰国して君主となって天下の覇権を握り、斉の桓公と並んで斉桓晋文と称され、春秋五覇の代表格とされる。(ウィキペディア「重耳」より)
必ず、芽が出るわけではないが、耐えることが、安易にあきらめないこと、実体験からも、そういう時があった。「重耳」を読んだ時が、まさに自分にとってそういう時だった。
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