いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

元号

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元号

2019年4月1日の11時過ぎ頃に、平成の次の元号が発表される。
多くの人の興味を集めている。
明日新しい元号が発表されるということで、今日2019年3月31日が平成の最後の日だと勘違いしている人も多いようだ。
今の元号天皇一代につき一元号
ウィキペディア元号天皇一覧をみると、かつては、一人の天皇にいくつも元号があった。災害や戦火があったりすると元号を変えたりしたこともあったのだろう。

 元号使用の歴史

日本書紀』によれば、大化の改新(645年)の時に「大化」が用いられたのが最初であるとされる。以後、7世紀中後期には断続的に元号が用いられたことが『日本書紀』には書かれている。しかし、当時使われた木簡の分析によると、元号の使用は確認されていない。まだ7世紀後半は、元号よりも干支の使用が主流だったようである。文武天皇5年(701年)に「大宝」と建元し、以降、継続的に元号が用いられることとなった。

広く庶民にも年号が伝わるようになったのは、江戸時代になってからのことである。(ウィキペディア元号」より)

 

光文事件 元号スクープできない

新聞社は次の元号をはいち早く知って、スクープしようとしたことがあったようだ。毎日新聞だったか。大正天皇崩御によって次の元号がなになるか?今以上に世間の関心を引いたと思う。毎日新聞社が次の元号をスクープして次の元号は「光文」だとと新聞で発表したことがある。これがえらいことになった。以下、ウィキペディアを引用する。

 1926年(大正15年)12月25日午前1時25分に大正天皇が48歳で崩御したが、東京日日新聞(現在の毎日新聞)が崩御直後に発行した「聖上崩御」号外で「元號は『光文』 樞密院に御諮詢」、及び同日午前4時に発行した朝刊最終版(市内版)において「元號制定 『光文』と決定―樞府會議で」の見出しで、新しい元号として「光文」「大治」「弘文」等の諸案から「光文」が選定されたと報道した。しかし、実際に宮内省が同日午前11時頃に発表した新元号は「昭和」であったために誤報となり、社長の本山彦一が辞意を表明する事態になったが、編輯局主幹だった城戸元亮が辞任することで事態が収拾された。

<中略>

当時の宮内省が情報が漏洩したことに腹を立て、内定した「光文」から「昭和」に急遽変更したという説がある。このことは猪瀬直樹著の『天皇の影法師』で触れられている(ウィキペディア「光文事件」より

 毎日新聞は平成のときは、発表の前に次の元号が「平成」であるという情報をつかんでいたようだが、記事にして印刷することはなかった。もし、発表していれば、差し替えれ、光文事件の二の前のなるのを恐れたのだろう。

このことからすると、毎日新聞は次の元号が何かはつかんでいるのかもしれない。 

安久はあり得るか。

静岡県三島市に「安久 」という地名がある。今、「安久」という地名の町が、次の元号になるかと、町の人が期待をよせているというニュースを見た。確かに「安らか」が「久しく」という意味にもとれ、いい元号だと思う。地名が元号になったという意味では、平成もそうであった。岐阜県に「平成(へなり)」とう小字があるのが、あとからわかったようだ。

1989年、「平成」改元に際し、武儀町内の小字に「平成(へなり)」がある事が判明して注目を浴びたが、この小字は、旧・下之保村の地名である。地名としては、安土桃山時代太閤検地で「へなり」のという記述があり、江戸時代には「平成」の文字があてられている。 (ウィキペディア「下之保村」より。

 元号が平成になって、とてもにぎわったようだ。今も道の駅がある。これはいけないという話もあったようだ。
元号の準備が1989年から進められているという話もある。元号の影響も勘案すると、その点は汲んで、いろいろ考えていると思う。
こういった経緯があって、ひょっとして、元号は明日の朝に決まるのではないかな?

西暦の下二桁の数字とと元号の数字差が近いと・・・

普段の生活で、西暦と元号とどちらを使うことが多いだろうか?

お役所で提出する書類は元号を使うことが多い。元号の方が使われることが多いように思う。日常では任意にどちらかを使っている。元号を使うことの方が多いかも。年を計算するときは、西暦の便利だ。

ニュースでは時として、西暦と元号が混在して使われることがある。しかも、西暦で下二けただけをいわれると、平成の場合わかりにくかった。

平成時代の西暦の下二けたと元号の数字が12しか違わない。

例えば2005年、下二けただと05年となる。この05年をつかって以前の事例としてニュースに書かれると、平成5年(1993年)のことか、2005年のことかわからなくなる。
通常は’05年と数字の前に「’」を付けて書くのだが、ネットのニュースでは「’」を省いているのをよく見かけた。下二けただと西暦と元号とは12しか違わないから混乱する。
元号の方が西暦より12多い数字だった。

今度の元号は、逆に西暦が元号より19多くなる。
例えばオリンピックの年。2020年。新元号2年になる。下二けたが18違うことになる。
役所の書類にも新しい元号での年数を書かないといけなくなる。平成では西暦に12をプラスしたが、新元号では西暦に18プラスしないといけない。
昭和のように25も違って入れれば、わかりやすいが、18だとまだ勘違いしそうな感じがある。  

元号が変わるとき。

平成31年4月30日は、新元号5月1日その間では、大きなイベントが準備されているのはないかと思う。

テレビも大晦日以上の何かを企画しているとか。

今でもよくやっているが、4月30日に「紅白歌合戦」のような、大々的に平成を懐かしむ歌番組とか、といったようなイベントとかがあるかもしれないような気がする。

 

元号は「令和」(追記)

意外な感じがあった。聞いているうちになれるだろうとは思う。もうバラエティでは「令和」の文字が踊っている。

聞いた時は、なんか冷たい感じがした。令は冷蔵庫の「冷」と同じ読みだからそう思ったのだろう。

「令和」をスマホで「れいわ」と始めて打ってみると「0話」が出た。

「れい・わ」って、音からすると「令」=0、和=輪=0の印象。

0から始めようという意味かなと勝手に思った。

戦技生まれの天皇陛下の下、新しい日本ということかなと思った。

戦後の終わりを意味しているならかな?

少子高齢化と言われ、衰えが見える日本の復活への道のはじめという思いがあるのかも。