いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

2000万円って?同日選挙はあるか?老後足らないと政府に言われて、老後を考えるいい機会になったかも。

最近、老後、30年で、2,000万円足らないという政府の文章が話題だ。同日選挙の話がトーンダウンした。というか、断言できないが、普通なら、同日選挙はなさそうだ。

金融庁の正直な話の「老後、2000万円不足しますよ!」は、多くの人が金額は漠然としたものであったかもしれないが、薄々気づいていたはず。現実に年金にかかわる問題が噴出している。
「100年安心」はお題目のようなもので、耳に入るが、頭に残っていなかった。
 今は政治の問題のようだが、切実な問題。この年になるとリアリティをもって目の前に横たわる問題。政府に何とかしろと言っても、個々事情が違うため、自らが考えていかないといけないと思っている。考えてもできるかどうか?その時になれば、その時のように暮らせるとも思っている。しかし、備えるに越したことはない。どのように備える。

   

 


 金融庁の考えでは長期投資のようだが、果たしてそれでいいのだろうか?長期と言っても投資は難しい。今は政府は投資を国民に勧めていえう。投資はリスクが大きい。大きいから金利が高い。元本保証はない。子供の頃、50年ほど前は、政府は、貯金を勧めた。学校にも郵貯人だろうかが来て、貯金を集めていた。そのお金が、企業に回り投資をして、高度経済成長の役に立ったはず。

貯金は元本保証だが、投資はどうだろうか?今の社会システムが20年後30年後も同じだろうか?投資先がその時まで健在か?投資リスクはどうする?物価はどうだ。投資をするには、そういった社会変化に機敏に反応する必要がある。それに、そんな先のこと、誰が予想できるのだろう。本当に2,000万円でいいのか?3,000万円という話もある。統計による数字マジック。統計の数字の取り方次第で、数字はいかようにも変わる。

2000万円の話は、地震予知と同じだと思う。起きたらどうするという解決方法がない。単に不安をあおっているだけのように思える。海外では地震予知は無理だから、減災に力を入れているという話を聞いたことがある。

 

しかし、悪い時に、へんなモン出したもんだと思う。年金では老後不足が生じるという本当のことが表沙汰になった。さぞ困っているだろう。政府としてこれは、選挙の前で隠しておきたいことだったのではないだろうか?その意に反して表沙汰になった。これも公文書のようだが、大臣が受け取らず、消されたと言われている。

この話は選挙の後にするものだとか、金融庁の人間は政治がわかっていないなどいうコメントが漏れ聞こえてくる。

さらに悪いことに、麻生大臣の対応だ。これがとても不評だ。これが火に油注いだ感じ。話題を沸騰させた。とても評判が悪い。夏の参議院議員選挙にも影響がありそうだ。

こんな状況では、普通なら、自民党も衆参同日選挙を容易に言えなくなる上に、尻拭いに消費増税延も言いかねない状況かもしれない。金融庁の上の財務省の思惑が崩れるかもしれない。

 

 野党が勢いづいて、選挙ネタにしようと必死だけど。どうも、力不足のような気がする。12年前とは違う。あの時は、民主等伸び盛りで、反自民の受け皿なっていた。

   

 


もし、自民党が、衆参同日選挙を再度チラつかせて始めると、野党は混乱するのではないか?参議院では、合意できているが、衆議院ではできない部分が露見して、参議院の連系も解消になりかねない。これでは、自民党に対抗できるわけない。同日選挙となると、野党はこの2,000万円の話題どころではなくなるかもしれない。自民党は、煮えたぎっている「2,000万円」の鍋を冷ますために、衆議院解散してくるかもしれない。マスコミも選挙に向く。野党は混乱、分離するだろう。2,000万円の話は人の記憶の片隅に追いやられる。

 

 もし、同日選挙をすると、今の野党が相手では、自民党は、議席を減らす可能性はあるが、それほど大きな議席は減らないと思う。大きな影響はないかもしれない。反対に増えるかもしれない。大勝の可能性も否めないのではないかな。


同日選挙で、議席変わらずか少しでも議席が減れば、安倍さんはレイムダックになり、退陣することになる可能性もある。増えれても、少数だと同じかな。大勝すれば、任期満了まで安泰で、さらに先が見えてくるかもしれない。このようなコメントを読んだことがある。


 今は、とても大事な時期。変化の予感のある時期かもしれない。 

衆参同日選挙は果たしてあるだろうか?
普通なら、ほとんどないと思うが、こうして考えるのも面白い。

選挙は他人ごとであって、いずれ身に降りかかる問題。それ以上に、老後の生活設計はより身近な深刻な問題。聞きたくないけど、今回いい機会で、考える機会になった。