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いまこのときが大切

日々気になったこと、興味を持ったことを綴っています。

川口居留地~大阪市西区~

先日行きつけの串カツ屋さんに行き、
いつものごとく大将と飲んでいました。
大将はお客さんがいてもいなくても、
合間をみて、私の前にすわり、
大将も生ビールをビールコップに入れて飲んで、話相手をしてくれます。
意外と大将は、話好きで、私が聞き役に回ることが多いです(笑)。
いろいろ、大阪の西区のことをいろいろ教えてくれるので、為になっています。

この日は、大阪の西区にある川口居留地の話になりました。
大阪の西区の川口というところは、倉庫街という印象しかありませんでした。
そこに、居留地があるとはつゆしりませんでした。
いまでは、当然居留地の面影もほとんどありません。
スマホで川口居留地を調べてみると、
意外と、この居留地を発祥とする学校などが多くありました。
川口居留地は、昔は貿易のための外国人の居留地でした。
木津川をはさんだ対岸に大阪府庁もあったと聞いたことがあります。
少し南に行けば、三菱の発祥地があったります。
以外と大阪の西区にはいろいろあったのだと感心しました。
大将にいろいろと教えてもらいました。


川口居留地

1868年、東京・神戸・新潟とともに大阪が開市・開港される。開市は1868年1月(慶応3年12月)、開港は1868年9月(慶応4年7月)のことであった。開港と同時に外国人居留地と定められた川口町26区画の諸外国への競売が行われ完売し、直ちに街路樹や街灯、洋館が並ぶ西洋の街へと整備される。居留地に接する本田、富島、古川、梅本町も外国人雑居地となり、1886年には人気に応えて10区画の増設が行われた。(ウィキペディア「旧川口居留地」より)

しかし、川口のあたりのにぎわいは長く続きませんでした。

川口が貿易港として継続的発展をなしえなかったのは、安治川河口から約6km上流に位置する河川港であるため水深が浅く、大型船舶が入港出来なかったことによる。そのため、外国人貿易商は良港を有する神戸外国人居留地へと移住していった。(ウィキペディア「旧川口居留地」より)

 そしてそのあとにこのあたりに来たのが宣教師たちです。
宣教師たちは、布教の一環として、病院や学校を作りました。

 彼らに代わってキリスト教各派の宣教師が定住して教会堂を建てて布教を行い、その一環として病院、学校を設立し経営を行った。平安女学院、プール学院、大阪女学院桃山学院立教学院、大阪信愛女学院といったミッションスクールや聖バルナバ病院等はこの地で創設されたのである。(ウィキペディア「旧川口居留地」より)

しかし、そのにぎわいも長続きしなかったようです。

 それら施設も高度な社会基盤が整備されるに従い、大阪の上町エリア(天王寺区阿倍野区など)へ次々と移転して川口は衰退への道をたどることになる。対照的に大型外国船が集まるようになった神戸港は、1890年代には東洋最大の港へと拡大していった。(ウィキペディア「旧川口居留地」より)

 川口の地には、その宣教師たちが立てた教会が現存しています。
レンガ造りの、立派な教会です。
阪神大震災で、鐘楼の崩壊など大きな被害を受けたようですが、
そのちゃんと復旧されています。
2010年に140周年を迎えたようです。
 現在の礼拝堂 1920年竣工のようです。


うしろに川口教会が見えます。

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川口教会
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登録有形文化財に指定もされています。

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大阪市西区のあたりは、いまでこそ北区(梅田)や中央区(本町、谷町、なんば、心斎橋)などの大阪の中心の繁華街のようなにぎわいはありませんが、かつては、大阪の行政や貿易の中心であった時代もありました。

木津川対岸の江之子島にはドームを有する洋風建築の大阪府庁本庁舎(1874年竣工、1926年大手前へ移転)や大阪市役所(1889年竣工、1912年堂島浜へ移転)が建設される。1899年に居留地制度は廃止されるが、大正時代末まで周辺一帯は大阪の行政の中心であり大阪初の電信局、洋食店、中華料理店、カフェができ、様々な工業製品や嗜好品がここから大阪市内に広まるなど、文明開化・近代化の象徴であった。(ウィキペディア「旧川口居留地」より)

 

この西区は私にとって馴染みのある地域です。
子供頃はこの西区の海側の隣の港区に住んでいました。
西区の九条にも、小学校上がりたてのころ、探検と称してよく行きました。
また、川口の倉庫街の横を自転車でよく通ったことがあります。


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